伝説の序章を,私たちは目撃しているのか。

 羽生選手が,ソチ五輪唯一の金メダルを獲得しました。金メダリストということで,帰国後いろいろな場所に連れ回されないか心配でしたが,案外早く練習拠点のカナダに戻りました。これで,世界フィギュアにもあまり悪影響が出ずに済みそうです。羽生選手には,2002年のヤグディン選手(RUS)以来となる同一シーズン三大大会制覇(グランプリファイナル,五輪,世界選手権)がかかっていますので,早くリンクに戻ってくれてホッとしています。

 羽生選手が世界ジュニアを制した頃から,友人に勧められチェックし始めました。ジャンプのスキルの高さ,女子のような柔らかい表現,中世的な風貌が,今までの日本人にいないタイプでしたし,ジュニアからシニアに上がり成長の過程にあったので観るたびに演技が良くなっていく楽しみがありました。シニア1年目からトップ選手に十分対抗できる力を見せ,五輪3枠の一角に食い込めるだろうという期待が高まっていきました。

 そんな矢先,東日本大震災が発生します。羽生選手が被災しとても苦労したことは,いろいろなところで語られているとおりですが,私が驚いたのは,震災を経て彼の発言が劇的に変化したことでした。震災前は,高校生らしい若くて邪気のない発言が多かったのですが,震災後は別人のように大人びた雰囲気をたたえ,周囲への感謝と自身の情熱をよどみなく語るようになっていました。環境はここまで人を変えることができるんだ,と感心しつつも,大震災はそれだけ人の心に刻みつけられるものなのだ,と考えさせられることでもありました。

 その後,羽生選手はブライアン・オーサーコーチに師事するという驚くべき選択をします。あのキム・ヨナを育てたオーサーコーチを選択したことに対して,世間ではかなり嫌悪感や反感が出ました。日本人にとってその選択だけはないんじゃないか,と思う気持ちは致し方ないところです。ただ,五輪の結果だけ見ればこの選択は大正解だったことになります。オーサーコーチは,キム選手同様,羽生選手にも見事な戦略を立ててくれました。よくよく考えると,これだけきちんとした戦略を立て,技術的指導もしっかりしているコーチが他にいるでしょうか。国内のコーチは戦略面で物足りないですし,ロシアのコーチは戦略や考え方が古い(浅田選手に対するタラソワコーチの戦略がその最たる例)。オーサーコーチは,選手時代に五輪の金メダルを獲得することができませんでした。おそらく,人生経験の中で金メダルの重要性を痛感していたのでしょう。教え子を2大会連続で金メダルに導いたことは,大変な偉業です。羽生選手がオーサーコーチに師事する幸運があったことを,私たちも素直に喜びたいと思います。

 ソチ五輪で羽生選手は金メダルを手にするだろうと予想はしていましたが,正直なところ銀メダルでも十分だと思っていました。まだ羽生選手は若いですし,この4年間の功績からすると金メダルを取るべきなのはチャン選手(CAN)だったからです。現に,羽生選手はフリーではミスが多く,チャン選手が普通にできれば金メダルを獲れる状況ができましたが,チャン選手もフリーでミスを頻発しチャンスを自ら逃してしまいました。今季グランプリファイナルから始まった,羽生選手の急速な追い上げにチャン選手が屈した格好になり,一気に羽生選手の天下になったということができます。

 五輪金メダリストともなれば,世間の注目度も急上昇してきます。フィギュアフリークにとどまらないライトなファンも増えるでしょう。そして,ファンが増えればどうしても熱狂的なファンが出てくるでしょう。熱狂的なファンは,応援してくれるありがたい存在ですが,時に度を越してしまうこともあります。髙橋選手や浅田選手の熱狂的なファンの中には,他の選手への態度に問題がある(声援を送らない,過度に非難する)人がいることも事実です。羽生選手にはそのような変に熱狂的なファンが増えないことを祈るばかりです。そして,ファンが増えても自信過剰にならず,華麗さと謙虚さを高い次元で融合させ,発言にも気を配り,ファンを魅了していってほしいと思います。

 ライバルの状況を見ると,これから実力が伸びそうな選手は限られており,4年後の平昌五輪まで男子フィギュア界が羽生選手を中心に進んでいくことは間違いありません。おそらく羽生本人は,五輪2連覇~3連覇を夢に描いているでしょうし,それに向けて毎シーズン常にトップ争いをすることを考えていると思います。この先,世界フィギュアを何回勝てるか,点数が合計300点を超えてどこまで伸びていくのか,それを目の当たりにできる私たちはとても幸運です。とてつもない強さを見せ続け,世界のトップに君臨する日本人スケーターの出現を,私は期待して見守りたいと思います。