• めだかの兄妹」 わらべ
  • め組のひと」 ラッツ&スター
  • 初恋」 村下孝蔵
  • メリーアン」 アルフィー
  • キャッツ・アイ」 杏里
  • 僕、笑っちゃいます」 風見しんご
  • ボヘミアン」 葛城ユキ
  • 悲しい色やね」 上田正樹
  • 想い出がいっぱい」 H2O
  • そんなヒロシに騙されて」 高田みづえ
  • 君に胸キュン」 Y.M.O.
  • 恋人も濡れる街角」 中村雅俊
  • ドラマティック・レイン」 稲垣潤一
  • ラヴ・イズ・オーヴァー」 欧陽菲菲
  • ギャランドゥ」 西城秀樹

 さらに演歌勢では「矢切の渡し」「さざんかの宿」「氷雨」「冬のリヴィエラ」「釜山港へ帰れ」「夢芝居」「3年目の浮気」「居酒屋」「浪花恋しぐれ」…曲名を聞けばすぐフレーズが浮かんでくる懐かしい名曲の数々。これらが全て同じ年のヒットと知れば驚きですよね? 1979年に負けず劣らず,個人的にはこちらの方が思い入れの強い年,それが1983年(昭和58年)です。

 この年はアイドルが大活躍しました。「花の82年組」と言えば1982年にデビューした大豊作アイドルの総称ですが,彼らは,デビューからヒットしていた シブがき隊 や 松本伊代 を除くと,デビュー翌年の1983年に続々とブレイクします。早見優 は「夏色のナンシー」で,堀ちえみ は「さよならの物語」「夏色のダイアリー」,石川秀美 は「Hey!ミスター・ポリスマン」でベスト10ヒットを飛ばし,以降数年間ベスト10の常連になっていきます。今でこそ大御所のキョンキョンこと 小泉今日子 も,この年の「春風の誘惑」でやっとブレイクし,「まっ赤な女の子」「艶姿ナミダ娘」で不動の人気を獲得します。

 82年組の中で一足早くデビュー年に「少女A」でブレイクした 中森明菜 は,続く「セカンド・ラブ」が1982年から越年で(ザ・ベストテン)8週連続1位という彼女最大のビッグヒット,次の「1/2の神話」も(同)7週連続1位を記録し,モンスターアイドルの地位を確立したのがこの年でした。また,角川映画のアイドルでは,薬師丸ひろ子「探偵物語」(作曲:大瀧詠一)が(オリコンで)7週連続1位,原田知世が「時をかける少女」(作曲:松任谷由実)で大ヒットしました。作曲者を見ると,角川映画の力の入れ具合がわかりますね。

 既に活躍していた聖子・トシ(田原俊彦)・マッチ(近藤真彦)は,この年は少し大人しかったのですが,それでも 田原俊彦 は「さらば…夏」で日本歌謡大賞を受賞。松田聖子 は「SWEET MEMORIES」が異例のヒットを記録しています。「ガラスの林檎」のB面(カップリング)に収められたこの曲は,サントリーのCMで使われた当初歌手が伏せられており,聖子だと判明して話題が沸騰。「ガラスの林檎」でオリコン1位になった後いったんベスト10圏外に落ちてから,途中で両A面シングルになり,再び1位に返り咲きました。両A面シングルの売上が通算されたため,「あなたに逢いたくて」が登場するまで聖子最大のセールス曲になりました。

 また,同じように既にベスト10常連になっていた 河合奈保子 は「エスカレーション」「UNバランス」で大人路線への転換に成功し,柏原芳恵 は「春なのに」が 中島みゆき 作詞作曲の卒業ソングとして大ヒット。このようにアイドルが確かな実力を付けながらヒットチャートを席巻したのが1983年の大きな特徴です。そこに,冒頭で紹介した J-POP や演歌も加わり,名曲揃いのヒットチャートになっています。

 ニューミュージック系では「メリーアン」の アルフィー,「ドラマティック・レイン」の 稲垣潤一 がブレイクし,「サマー・サスピション」の 杉山清貴&オメガトライブ がデビューしています。ちなみに「ドラマティック・レイン」の作詞は 秋元康 で,この曲が作詞家として最初のメジャーヒットなのです。また,この時代は,化粧品CMタイアップ曲がヒットの登竜門で,春には epo「う、ふ、ふ、ふ、」や元キャンディーズの 藤村美樹「夢・恋・人」,夏には シャネルズ から改名した ラッツ&スター「め組のひと」,Y.M.O.「君に胸キュン」が大ヒット。面白いところでは夏のコーセー化粧品タイアップの もんたよしのり&大橋純子「夏女ソニア」が,パワフルボーカル同士というツウなデュエット名曲です。

 演歌勢も大ヒットが多かったこの年に起きたのが競作ブームです。競作とは,同じ曲を複数の歌手が歌うことで,「氷雨」の 佳山明生日野美歌 が両方大ヒットしたことがブームの発端になったと思います。「釜山港へ帰れ」は韓国出身の チョー・ヨンピル が歌った曲ですが,「夢追い酒」で知られる 渥美二郎 もヒットしました。忘れてはいけないのは「矢切の渡し」も競作だったこと。有線放送で先にヒットしたのは「喝采」が有名な ちあきなおみ でしたが,細川たかし を優先して同じレコード会社だった ちあきなおみ の販売を縮小し,結局 細川たかし は大ヒット。競作だとパイの食い合いになる場合も多いので最近はほとんどありませんが,当時は競作が相乗効果を生んでヒットが生まれる,という活況があったのです。

 他にも,横浜銀蝿の妹分として出てきた 岩井小百合 とか,ヨッちゃんこと 野村義男 のバンド The Good-Bye とか,伊武雅刀「子供たちを責めないで」とか,ネタが尽きない1983年。この頃の私は,土曜日は,FM東京(現 TOKYO-FM)の「コーセー歌謡ベスト10」とニッポン放送の「オリコンヒット速報」を聞き,日曜日は朝からTBSラジオ「森田公一青春ベストテン」とニッポン放送「不二家歌謡ベストテン」,昼はTBSラジオ「ハロー!ベストテン」と文化放送「決定!全日本歌謡選抜」をはしごするという,ラジオのヒットチャート番組を聞きまくる週末を過ごしていました。中学生という最も多感な時期に流行音楽とヒットチャートに親しんだことが,現在の,歌好き,カラオケ好き,ラジオDJや司会進行好きにつながっていることは間違いありません。そしてそこには,良質な歌の数々があったんだなぁと改めて感じ入るところであります。

<1983年(昭和58年)の年間チャート>