平昌五輪のフィギュアスケート男子シングルは,羽生結弦 選手が2連覇を達成しました。ケガ明けの2連覇という美談がどうしても目立ってしまいますが,どのようにして勝利を手繰り寄せたのか,そのスコア戦略や実際のスコアに言及する記事はほとんどありません。フィギュアスケートはスコアを争う競技なので,スコア戦略に着目して,羽生 選手の金メダルの要因を考えてみたいと思います。

 まず,主な選手に関する,FS(Free Skating,フリースケーティング)でのジャンプ構成やスコアの内訳を比較表にまとめましたのでご覧ください。下記画像をクリックすると,拡大表示されると思います。

FigureSkateScoreList2018MenResult

 この表は,本ブログ記事「男子シングル ジャンプ戦略比較」で作成した表を発展させたもので,技術点の高い順に一覧にしています。表の見方を,羽生 選手のデータを例にとって説明します。

 「4回転」「3回転(トリプル)」「2回転」の列は,メインジャンプ(単独ジャンプと,連続ジャンプの1本目)の本数を表します。上段(白い行)は演技時間前半,下段(水色の行)は後半に入れたジャンプの本数を示しています。羽生 選手のメインジャンプは,前半に 4S,4T,3F,後半に 4S,4T,3A,3Lz,3Lo を入れたことがわかります。「2連続」「3連続」の列は,連続ジャンプを表します。羽生 選手は2連続ジャンプで +3T(実際の組み合わせは 4S+3T)を後半に飛び,+2T は予定していたものの実際には飛べませんでした。3連続ジャンプは,+1Lo+3S(実際の組み合わせは 3A+1Lo+3S)を入れたことがわかります。

 「ジャンプBV」の列は,ジャンプで取るべき基礎点を表し,羽生 選手は 82.09 点を取れるはずだったことを示しています。そのうち,後半のジャンプで取る点数が 55.99 点で,それは全体の 68.2% であることがわかります。

 「スピン」の列は,実施するスピンの種類を表します。Sはシットスピン,Cはキャメルスピン,Co はコンビネーションスピンを表し,その前にF(フライング)とC(チェンジフット,足換え)の一方あるいは両方が付きます。

 「基礎点合計」の列は,ジャンプ・スピン・ステップ全て合わせた基礎点について,完全に実施できれば取れる点数(表の「完全」欄),そこから取りこぼした点数(表の「損失」欄),実際に獲得した点数(表の「実際」欄)を表します。羽生 選手は,完全に実施できれば 97.99 点の基礎点を取れるところ,5.43 点を取りこぼし,実際に獲得した基礎点は 92.56 点だったことを示しています。

 「基礎点損失詳細」の列は,基礎点を取りこぼした理由を記しています。羽生 選手の場合,以下の取りこぼしがありました。

  • 2本目の 4T を連続ジャンプにできなかったため,同種ジャンプの単独ジャンプが2本になり,2本目の基礎点が70%になった。この分の損失点数は,10.3(4T 基礎点)×1.1(後半ボーナス)×0.3(損失分は30%)= 3.40 点
  • +2T の連続ジャンプをどこにも付けることができなかった。この分の損失点数は,1.3(2T の基礎点)×1.1(後半ボーナス)= 1.43 点
  • ステップ(記号 StSq)が,レベル4を取れずレベル3になった。この分の損失点数は,3.3(レベル3基礎点)-3.9(レベル4基礎点)= 0.6 点

 これらの取りこぼし点数の合計が 5.43 点になるわけです。そして,表内のピンクの網掛けは,この取りこぼし箇所がどの要素なのかを示しています。×が付いている要素は,予定どおり実施できなかったことを表します。

 残りの列は「GOE による加点」「技術点」「演技構成点」「減点」「総得点」を表します。スコアの計算方法を知りたい方は,本ブログ記事「フィギュアスケートのスコアはどのように決まる?」をご参照ください。羽生 選手は,GOE の加点 16.99 点が基礎点に加算され,技術点が 109.55 点となり,演技構成点 96.62 点との合計で総得点 206.17 点を獲得しました。

 では具体的に,羽生 選手の戦略と,実際に何が起きたかを見ていきます。羽生 選手は,SP(Short Program,ショートプログラム)でトップに立ち,フェルナンデス 選手に 4.1 点差,宇野昌磨 選手に 7.5 点差をつけました。この点差なら,確実な演技をすれば勝てると考え,4Lo を回避して 4S と 4T を2本ずつ入れる構成にしたのだと思います。この構成は,私は事前に,本ブログ記事「羽生結弦,ネイサン・チェン のジャンプどうなる?」で,あまり好ましくない構成だと指摘していました。4回転4本は後半の体力が心配なので,4回転を3本にして 3A を2本にする方が得策だと私は思っていました。

 ですから,後半の 4T で着氷が乱れ,連続ジャンプにできなかったのを観て「だから 3A にしておけばよかったのに」と私は地団駄を踏みました。4T の失敗により基礎点が70%(7.93 点)になり,3A の基礎点(9.35 点:演技時間後半)よりも低くなってしまったからです。転倒なしで4回転が4本認定されたとはいえ,4本目はスコア上の貢献が小さかったのです。もしここで転倒していれば,今回のスコアから GOE で -2 点,転倒減点が -1 点,転倒によって全体の完成度が下がるので演技構成点で -2 点の可能性があり,計5点程度落としていたと思います。転倒しなかったので結果オーライですが,転倒していたらさらに僅差になり,他の選手の出来次第では危なかったと言えます。

 ただ,このあたりは 羽生 選手自身も十分に吟味したはずです。あえて 3A を1本にしたのは,4S や 4T でどれか1本回転が抜けてダブル(2回転)になってしまった場合に,後半の 3Lo を 3A に変えて基礎点を上げるリカバーを考えていたからだと思います。後半のしかも遅い時間に 4S や 4T をリカバーするのは,今回の 羽生 選手の状態では不可能でしたが,3A ならかなり遅い時間でも飛べると考えていたと思います。初めから 3A を2本入れると,良いリカバープランが組めないので,これらのことを総合的に考えて 3A を1本にしたのだと思います。

 3A の2本目というリカバープランは発動せずに済みましたが,4T+1Lo+3S が入れられなかった点は,3A+1Lo+3S を決めてリカバーしました。これは 3A が得意な 羽生 選手ならではの,プランどおりのリカバーだったと思います。このリカバーによって残った +2T は最後まで入れられませんでしたが,この損失は 1.43 点と小さなものでしたから,3A+1Lo+3S のリカバーが金メダルを引き寄せたと言っていいと思います。

 GOE の加点が 16.99 点というのは他の選手と比べればかなり多いですが,過去に 23 点もの加点を得たことがある 羽生 選手としてはやや物足りない点数です。着氷が乱れたジャンプが2回ありましたから致し方ないことですが,基礎点の5点以上の取りこぼしも合わせて,FSのスコアはけして高い点数ではありませんでした。結果は11点差がつきましたが,転倒していたら金メダルはなかった,と言っていい内容だったと思います。

 それでも,ケガ明け久々の実戦でありながら転倒なく演技を終えたことで,すごい演技だという印象を観客に与え,会場内の大歓声を生み出すことに成功しました。スコアよりも,会場の興奮や熱狂が 羽生 選手こそ王者に相応しいという雰囲気を醸成したと思います。直後に演技した フェルナンデス 選手(スペイン)や,演技を観ていた 宇野昌磨 選手が,その雰囲気に多少なりとも影響を受けたことは否めないでしょう。

 実際に,トータル 317 点台となった 羽生 選手は,ほぼ金メダルを手中に収めてはいましたが,わずかながら フェルナンデス 選手や 宇野 選手にもチャンスがありました。フェルナンデス 選手は,演技時間後半冒頭の 4S の回転抜けが全てでした。これで基礎点を約10点失っていますし,4S が綺麗に飛べれば GOE で2点の加点を得る可能性は十分にありますので,これらの12点があれば 羽生 選手との点差を埋められたのです。シーズン当初の不調を考えれば,よくこの1ミスで収めたという見方ができるのですが,その不調が五輪でも埋めきれなかったのは,フェルナンデス 選手の本来の実力を考えるともったいなかったと思います。

 宇野 選手は,基礎点の取りこぼしはほとんどなかったのですが,GOE 加点があまり得られなかったことと転倒減点が響きました。冒頭の 4Lo で転倒しましたが,4回転ジャンプで転倒すると GOE が自動的に -4 点になってしまうので,GOE 加点が伸びないのです。もし 4Lo が成功していれば,転倒減点 -1 がなくなり,GOE も +2 点の加点は可能なので,今回のスコアに7点ほど上乗せできました。羽生 選手が帰国後「宇野 選手の 4Lo が成功しても自分が勝つことはわかっていた」という趣旨の発言をしましたが,7点上乗せしても 羽生 選手との11点差は埋まらないので,この発言は的を射ています。

 ただ,それはあくまで今回のスコアに 4Lo の成功を当てはめた場合の話であって,他の要素も出来が良ければさらに GOE が上がり,ステップやスピンのレベルの取りこぼしもなかったかもしれませんし,ミスがなければ演技構成点もさらに上がったはずです。つまり,宇野 選手の演技全体が素晴らしければ,あと4点が埋まっても不思議ではありませんでした。宇野 選手が「ベストの演技をすれば勝てると思っていた」と発言したのはそういうことであり,4Lo が成功すればその後の演技も素晴らしいものになった可能性はあったわけです。4Lo の失敗によって 羽生 選手の金メダルが決まった形になりましたが,宇野 選手が 4Lo も含め全ての要素が成功していたら,どちらが金メダルなのかという点で最後の得点発表はもっと盛り上がったでしょう。

 ただ,もしそれで 宇野 選手が金メダルを獲ったら,それはそれで釈然としない雰囲気になった可能性もあったわけで,宇野 選手は実にわきまえた順位に収まったと言えるでしょう。羽生 選手がギリギリのところで転倒しなかったことが,会場の熱狂を生み,それが フェルナンデス 選手に 4S の回転抜けを起こさせ,宇野 選手の 4Lo 転倒につながった…正に 羽生 選手の五輪に全てを注ぎ込んだ執念の演技が,その後登場した2人のわずかな綻びを呼び込んだ,と言える戦いだったのではないかと思います。

 SPを完璧にしFSで逃げ切る。これが,今回の 羽生 選手が置かれた状況で打った最善手であり,これをきちんと遂行することでライバルのミスを誘いました。4回転ジャンプの種類を 4S と 4T に絞ったことは,ケガでやむを得なかったとはいえ,本当にプライドを捨てて勝利だけを獲りにいく戦略でした。羽生 選手がこれほどまでに勝負に徹した試合は今までなかったと思います。平昌五輪で魅せた勝負強さには 羽生結弦 というスケーターの神髄が凝縮されている,そう強く感じたのでありました。