平昌五輪の狂騒から2カ月。羽生結弦 の金メダルは劇的だった。ケガ明けぶっつけ本番,4回転ジャンプの種類も限定的という,これ以上ない「設定」(本人談)で獲った金メダルには確かな価値がある。しかし,2ヶ月が経っても,五輪2連覇のすごさが私の心に響いてこない。とても冷静に受け止めている自分がいる。

HanyuYuzuruPyeongChang2018

 世界選手権の欠場は,そう思わせる要因の1つだ。結局,ケガしたことで,NHK杯,グランプリファイナル,全日本選手権,さらには五輪団体戦まで回避し,ケガが癒えない状態でどうにか平昌五輪の金メダルは獲れたものの,世界選手権も欠場せざるを得なかった。平昌五輪のときだけ,瞬間的に熱狂が生まれたが,その後は穏やかな時間が流れている。全日本選手権欠場ながら特例での五輪出場や,団体戦回避という「優遇」がなされ,正々堂々の戦いとは言い難いものになってしまったし,もし金メダルを逃していたら,どれだけの非難が巻き起こったかわからない。だからこそ 羽生 は金メダルを獲るしかなかったのだ。

 この経緯を 羽生 は十分理解していたのだろう。五輪直後こそ多くの取材に応えていたが,その後の発言は聞こえてこない。五輪2連覇を達成はしたものの,表舞台でその栄光にひたる時間が長くなるのは許されないことを,羽生 は誰よりも感じとっていたに違いない。五輪2連覇の真の価値を 羽生 が享受するには,もう少し時間が必要なのだろう。

 もう1つ,私がもやもやするのは,ソチ五輪からの4年間,羽生 が圧倒的な強さを示せなかったことである。ソチ五輪シーズンの急成長と,ライバルたちの動向から,この4年間は 羽生 の独走が予感された。しかし実際のところは,毎シーズン前半のグランプリファイナルでは昨シーズンまで優勝し続けた(今シーズンはケガの影響で出場資格なし)が,シーズン締めくくりの世界選手権では,ソチ五輪直後は薄氷の優勝,そしてその後の2シーズンは ハビエル・フェルナンデス (スペイン)に連覇されて2位に終わり,昨シーズンやっと3年ぶりに優勝した。

 世界選手権は1位か2位であり,さらに2015-16シーズンには 330 点台という歴代最高得点を記録し,この記録は現在でも破られていない。世界ランキングもずっと1位に君臨し続けた。これらは十分に素晴らしい戦績だが,世界選手権を4連覇するだろうと勝手に期待した私からすると,物足りなさを感じてしまうのだ。また,この4年間,ケガや故障なしで過ごしたシーズンは1度もなく,アスリートとして最も大事なコンディション維持の面では,ずっと課題を抱えてきた。

 肝心な今シーズンに大きなケガに見舞われた要因の1つは,4回転ジャンプの種類や回数の急激な増加である。4回転ジャンプの精度や完成度が高い若手選手の台頭を受けて,羽生 は 4Lo や 4Lz(4回転ループ&ルッツジャンプ)に挑戦したが,今シーズンのケガは 4Lz の練習のときに起こった。羽生 は 4Lz を五輪シーズンになってプログラムに組み込んできたが,五輪シーズンに新たなジャンプを導入するのはリスクが大きい,ということを改めて示すものとなった。結局,ケガで 4Lo や 4Lz を使えず,4S と 4T(4回転サルコウ&トウループジャンプ)だけで平昌五輪の金メダルを手にしたのは,ケガの功名というよりは,やや消化不良感が否めないものだった。

 とはいえ,平昌五輪の戦いぶりは,羽生結弦 という選手が「逆境をエネルギーに変える能力がいかに傑出しているか」を示すものだった。東日本大震災でリンクの被災を経験。4年前,中国激突事故から1ヶ月後のグランプリファイナルをシーズンベストで優勝。このように何度も逆境を乗り越えた経験はあったが,それを五輪という究極の舞台で魅せたことは,圧巻としか言いようがないものだった。

 だがそれは「他の幸せを捨てる」(本人談)ことで達せられたことだった。五輪という大舞台に向けた逆境の乗り越え方がこれだったのだろう。ケガの回復状況が思わしくない中で,五輪という極めて特殊な大会の勝利を手繰り寄せるには「敵は自分」「自分が納得する演技をすれば結果は後から付いてくる」といった美しく理想を追究するアプローチは通用しない。羽生 は,歴代最高得点保持者のプライドを捨て「他者より0.01点上回ればよい」という現実的な戦いを思い描いたのではないだろうか。そしてこの考えは,昨シーズンから実践してきたことだったと私は推察している。

 ソチ五輪の翌年から2年間,世界選手権で優勝を逃した頃の 羽生 は,自分にとって最高の演技で優勝したいという思いにとらわれ,自分を追い込んでしまっていたように思う。昨シーズン,3年ぶりに世界選手権を優勝できたのは,他者に勝てばいいんだという現実的な考えを実践したからではないかと私は感じた。そしてこの成功体験が,平昌五輪にも生かされたのではないかと思う。

 その境地に達していなければ,4Lo を飛べない不安に押しつぶされたに違いない。4回転ジャンプが 4S と 4T だけでも十分戦えると考え,五輪直前はこの2種類のジャンプの回復に重点を置いていたはずだ。このジャンプが安定すれば,SP(Short Program,ショートプログラム)で先行して逃げ切るパターンでも,FS(Free Skating,フリースケーティング)で逆転するパターンでも大丈夫と考えたのだろう。結果はSP先行逃げ切りの形になった。

 各種インタビューを総合すると,FSのジャンプ構成は 羽生 自身が当日の朝に最終決断したそうだ。普通は,コーチと相談したり,コーチが決めたりすると思うのだが,難しい状況の中で自ら決断したとは驚きである。しかし,これだけの難しい状況の中でそれができるのが 羽生 なのだ。自分ができることを冷静に見極めたことが,上々の演技の実施になり,会場に熱狂の渦を生み,他の選手のミスを誘った。これほど会心の戦いは 羽生 史上最高と言って間違いない。それを負傷3ヶ月後の復帰戦,しかも五輪で遂行したのだから,羽生 の逆境への強さは,もう神の領域に到達したとしか言いようがない。

 ドラマティックな五輪2連覇ではあったが,自己ベストには10点以上及ばず,他者のミスによって獲れた金メダルでもあった。難しい状況の中で優勝をつかみ取ったという意味では価値ある金メダルだが,グランプリファイナル→全日本選手権→五輪団体戦 というステップをきちんと経て獲ってこそ本物であり,厳しい言い方をすれば「ただ五輪の金メダルだけを獲った」という,結果だけを手にしたような形になった。羽生 は五輪2連覇は手にしたものの,手にする過程には納得していないのではないか,心の中は満たし切れていないのではないか,そう私は察している。

 この4年間,羽生結弦 はライバルのスケーターよりも,自分の身体や気持ちと戦っていたように思う。次々と見舞われるケガや故障により,自分との戦いに集中せざるを得ず,ライバルとの戦いという本来の形にはなかなか至らなかった。しかし,宇野昌磨 や ネイサン・チェン (米)が 羽生 と互角に戦える実力を付けてきた今後の4年間は,羽生 にとって今までの4年間よりもはるかに厳しい戦いになるだろう。しかし,この厳しくしびれる戦いを 羽生 は待ち望んでいたはずだ。まずはケガを治し,ライバルとのハイレベルな戦いを1試合ずつ,1シーズンずつ,故障なく過ごしてほしい。それがさらに 羽生結弦 を強くし,その積み重ねの先に,五輪3連覇への挑戦が待ち受けているだろう。 (選手敬称略)