ヒット曲をランキング形式で発表し,1970~80年代に一世を風靡したテレビ番組「ザ・ベストテン」をはじめ,当時多かったテレビやラジオの音楽ヒットチャートランキングの多くは,何種類かのランキングを基に独自の総合ランキングを作成する,いわゆる総合ヒットチャート方式が採用されていました。「ザ・ベストテン」では,レコード売り上げ,ラジオ総合ランキング(TBS系列ラジオ局各局のランキングを集計),有線放送ランキング,はがきリクエストランキングの4種類を用いて,各ランキングの順位に応じた得点を合計することにより,総合ランキングが決定されました。この4種類の中で「有線放送ランキング」って何だろう?と思った方もいるかもしれません。1970~80年代の有線放送ランキングは,他のランキングと明らかに趣が異なっていて,それが総合ランキングを面白くしていたのです。

 そもそも有線放送とは何かという話は WikiPedia さんにお任せするとして,お店で延々曲が流れているケースの多くは有線放送だと思います。私の個人的な思い出としては,大学生のとき,バイト先の某バーガーチェーン店に有線放送が備えられており,そのお店では最新の J-POP のチャンネルで曲を流していました。有線放送で流れる曲は1週間単位とかでプログラムされているので,毎日同じ時間帯にバイトに入っていた私は,同じ曲を何度も聞いていました。その中で耳から離れなかったのは,曲のノリが J-POP 離れしていた「WON'T BE LONG」(バブルガム・ブラザーズ)と,歌詞と歌声が涙を誘う「会いたい」(沢田知可子)の2曲でした。ヒットする前から毎日耳にしていて,バイト仲間とも「この曲気になる」と話題にするくらい印象的だった2曲は,後々大ヒットしました。有線放送からヒット曲が出ると話には聞いていましたが,それを実感する経験でした。

 有線放送は,流してほしい曲をリクエストすることができるんです。当時は電話でリクエストできたのですが,バイト先のお店で実際にやってみたことがあります。電話した後,いつもと同じ曲が何曲か流れてから,少し大きめの音量でリクエスト曲が流れ,どういう原理かはわかりませんでしたが,へぇ~と思ったものです。有線放送のランキングとは,このリクエストの回数を1週間ごとに集計したものなのです。

 そういうことなら,人気がある曲がリクエストされるのだから,ランキングはレコード売り上げやはがきリクエストと大きくは変わらないのでは?と思う方もいるでしょう。1990年代以降はそうなっていくのですが,1970~80年代の有線方法ランキングは他のランキングと全然違う顔ぶれになることが珍しくありませんでした。全体的には演歌や大人向けの歌謡曲が上位に来る傾向が強く,例えば「つぐない」「時の流れに身をまかせ」でおなじみの テレサ・テン は,レコード売り上げでは最高位がベスト10に届くかどうかなんですが,有線放送では必ず1位を取り,ベスト10には次の曲が出るまで1年間ランクインし続けたりしていました。

 私は中学生になった1982年頃から,音楽ヒットチャートでおなじみのオリコンの週刊誌「オリコン・ウィークリー」を毎週立ち読みし,レコード売り上げだけでなく,有線放送など他のランキングにも目を通していました。また,当時TBSラジオで夜7時台に「毎日がベストテン」という番組が放送されていて,火曜日に有線放送ランキングが紹介されていたので,そこで普段は耳にしない,有線放送でのヒット曲を知ることができました。

 個人的にとても記憶に残っている曲の1つが「居酒屋」(五木ひろし・木の実ナナ)です。レコード売り上げでは全く上位に来ていないのに,有線放送の上位に長くランクされていたことを不思議に思いつつ,「有線放送は飲み屋に多く導入されているから,こういう大人な感じの曲が上位に来るんだな」と中学生なりに理解していました。この曲はカラオケのデュエット曲として大定番曲になり,平成の世になっても歌われ続けていますが,私の中ではデュエット曲としてよりも,有線放送の大ヒット曲として強く印象に残っています。 

 もう1曲,有線放送の大ヒット曲で思い出すのは「喝采」でレコード大賞を受賞した ちあきなおみ の「矢切の渡し」です。あれっ,細川たかし じゃないの?と思った方もいると思いますが,この曲は「氷雨」(佳山明生,日野美歌)のように複数の歌手が歌う,いわゆる競作作品であり ちあきなおみ の方が先に発売されました。ちあきなおみ 版は1983年の春先から有線放送1位に君臨しましたが,細川たかし 版は大ヒットするものの有線放送では1位を取ることができませんでした。

 ちあきなおみ の歌声は「矢切の渡し」の世界観にピッタリで,中学生の私でも強烈に引き付けられる魅力がありました。その一方で,細川たかし の朗々と歌い上げる雰囲気は,私には最後までしっくりきませんでした。さらに,細川たかし 版のレコードが年間2位の売り上げを記録し,2年連続でレコード大賞を受賞するのですが,ちあきなおみ 版のレコード売り上げが全然伸びない状況に対して,これは作為的な何かがあったんだなと,私は子どもながらに大人の事情というものを感じていました。ちあきなおみ 版は本当に素晴らしい作品だったのに,それがさほど世に出なかったことは1980年代ヒット曲シーンにおける汚点の1つだと私は今でも思っていますが,これは有線放送ランキングをチェックしていたからこそ感じられたことだったのです。

 さて本題の,有線放送ランキングの定説を塗り替えたアイドルの話。1980年代はアイドル全盛期でしたが,アイドルは有線放送ランキングでは苦戦していました。レコード売り上げでベスト10にランクするアイドルも,有線放送ではベスト20にもなかなか届きませんでしたし,松田聖子,近藤真彦,田原俊彦といったレコード売り上げ1位を取れる実力者でも,有線放送ではベスト10にどうにか入れるくらいで,ベスト5に届けば有線放送ランキングとしては大ヒットと言っていいような状況でした。

 しかも,有線放送ランキングの動きはレコード売り上げとタイムラグがあります。例えば 松田聖子 の曲が有線放送ランキングのトップ10に入るのは,レコード発売後3~4週間経ってからという感じでした。この頃のレコード売り上げは,初週に1位を取って翌週からは下がるだけというパターンが多かったので,有線放送ランキングが上がってくる頃レコード売り上げは下がってしまいます。「ザ・ベストテン」のような総合ヒットチャート方式で,トップアイドルでもなかなか1位を取れなかったのは,有線放送ランキングが弱く,レコード売り上げと同時期に上位を取れなかったことが原因の1つです。前述したように,1980年代の有線放送の主戦場は飲み屋であり,リクエスト曲にはやはり演歌や大人向けの歌謡曲が多かったことが,アイドル苦戦の理由と考えて間違いないでしょう。そう考えると「ザ・ベストテン」で唯一満点(9999点)を獲得した「YOUNG MAN」(西城秀樹)は,アイドルでありながら有線放送ランキングでも1位を取り,しかもそれがレコード売り上げの全盛期と同時期だという点で,本当に偉大なヒット曲だったということがわかります。

 アイドルが苦戦する有線放送ランキングの壁を乗り越えたアイドルが 中森明菜 でした。1982年に「少女A」でブレイクしますが,レコード売り上げは5位が最高位だったのに対し,有線放送ランキングが最高2位まで到達し,有線放送がレコード売り上げより上位に来るという,当時のアイドルではあり得ないチャートアクションを起こしました。次の「セカンド・ラブ」では,「3年目の浮気」「さざんかの宿」「氷雨」「冬のリヴィエラ」といった現在でも鮮烈な印象が残る演歌の大ヒット曲が有線放送ランキングの上位に並ぶ中で,年を跨いでベスト3を8週間もキープし,当時ヒットチャートを熱心にチェックしていた私は,アイドルがなんでこんなに有線放送に強いのか,すごく不思議だった記憶が鮮明に残っています。

 続く「1/2の神話」は,前述した ちあきなおみ と 細川たかし の二人の「矢切の渡し」の間に割って入り2位を3週間記録し,有線放送で演歌勢と対等に渡り合うアイドルという評価が完全に定着します。この2曲後の「禁区」でついに有線放送1位を記録。続く1984年の「北ウィング」では4週連続1位を記録し,以降,中森明菜 は有線放送でも当然のように1位を取る存在になりました。チャートアクションが早いことも特筆もので,同年の「飾りじゃないのよ涙は」では,レコード発売初週に早くも有線放送9位に登場すると,9位⇒3位⇒1位とレコード発売からわずか3週で1位に上り詰めました。

 圧巻は1986年の「DESIRE」。レコード発売3週目に1位を取ると,そこから11週連続1位というものすごい記録を打ち立てました(ランキング記録はこちらのサイトを参照)。当時は強力な演歌のヒット曲がなかったり,有線放送が飲み屋以外の様々な業態に広がりを見せたりした時期ではあったと思いますが,他のアイドルは相変わらず苦戦していましたので,中森明菜 の有線放送での強さは際立っていたと言えます。当時夜の仕事をしていた若い女性たちの多くが彼女を支持していたことも影響していたと思いますし,楽曲のクオリティーの高さがアイドルの域を超えていたことも,有線放送で強かった理由かなと思います。

 中森明菜 はアイドルとして最も成功した歌手の1人ですが,レコード売り上げでミリオンセラーがなかったり,オリコンで1位を阻まれる曲があったりと,記録面では恵まれない一面もあります。しかし,有線放送ランキングにおいては,中森明菜 は「アイドルは有線放送に弱い」という定説を覆し,有線放送に強いアイドルの先駆けであったという功績を残したのです。

 現在も有線放送という仕組みは健在ですが,飲み屋以外の業態のお店にも広く浸透し,音楽を聴く手段が多様化した今日では,有線放送にリクエストする層も変化したでしょうし,有線放送の独自性は薄れてきていると思います。私はもう20年以上,有線放送ランキングを定常的にチェックしていないので,どんな傾向にあるのか把握していませんが,たまにランキングを見るとCD売り上げとさほど変わらなかったり,アイドルの曲もきちんとランクインしていたりするので,1980年代の有線放送ランキングとはかなり様変わりしているのではないかと想像します。

 中学生の頃,大人の世界を垣間見る気分を味わうことができた1980年代の有線放送ランキング。情報の流通スピードが劇的に速くなり,様々な情報が似たり寄ったりになっていく現代を過ごしていると,異質なものの面白さが際立って感じられることがあります。昔の有線放送ランキングについ思いをはせてしまうのは,そんな面白さを存分に味わえたから…なのかもしれません。