早いものでこの春,新卒以来勤めていた会社を退職して3年が経ちます。新卒で大企業に入社し,恵まれた環境や伝統的大企業の企業風土の中で長年過ごしてきた人間が,40代後半という中途半端な時期にいきなり独立するという身の程知らずな行動を起こしましたが,思い描いていたよりもはるかに充実した3年間を過ごすことができました。独立に至るまでには実に様々な思いがあったのですが,退職直後にそれを語るのは格好悪いので差し控えていました。独立して3年経った今であれば,それを語ることも許されるかなと思い,初心を忘れないようにという自分への戒めも込めて,独立に至った思いを振り返っておこうと思います。
独立を考えるきっかけになったのは,会社でのパフォーマンスが著しく低下して,自分の仕事について深く考え出したことでした。よく「人は50歳を目前にすると,自分の人生を振り返る」などと言いますが,正にそれだったと思います。それまで,そんなに深く自分の仕事や人生のことを考えたことはありませんでした。会社で仕事のキャリアプランを考えるような研修を受けても,自分とまともに向き合うことを避けていました。しかし,あまりに自分の仕事がふがいなかったことで「お前は今のままでいいのか?」と自問するようになっていきます。そして,自分の中から湧き上がってきた答えは「会社に居続けても自分は変われない。外に飛び出してチャレンジしよう」でした。
この答えを固めるには数ヶ月という時間が必要でした。勤めていた会社や自分が在籍していた部署は,社員も環境も申し分なく,それまでは「どんな形でもいいから会社にしがみつこう」とさえ思っていました。ですから「本当に会社を辞めてやっていけるのか」「やっぱり辞めなければよかったと後悔することになりはしないか」という葛藤はかなり大きかったです。独立を決めた理由は後述のように様々ですが,それらのうち1つでも欠けていたら会社で勤め続けたと思います。考えれば考えるほど,全てのパズルのピースがはまっていき,独立するタイミングは今しかない,と思えたのです。考えて考えて考え抜いたからこそ,その境地に行き着いたのだろうと思います。
以下に,独立を決めた理由を挙げていきます。
■資格を生かすにはベンダー所属より中立の立場が良い
私は,自分の専門技術で,ある国際資格の上級資格を取得したのですが,私がこの資格の国内初取得者となり,この技術の国内第一人者をアピールできる状況になりました。この技術がベンダー(システムやソフトウェアの開発側)だけでなくユーザー(利用側)も使える技術であることや,会社の中でこの技術の仕事が徐々に減ってきていたという状況もあり,ベンダーの中にいるより独立して中立の立場になった方が自分の資格を生かせる,という思いが強くなっていきました。ユーザー企業のこの技術に対するニーズは確実にある,という私の読みも独立への大きな決め手になりました。
この3年間の活動において,私のコンサルティングの主たるクライアントがユーザー企業だったことから,その読みは合っていたと思います。自分のスキルや資格がこのような形で生かせることに,とてもやりがいを感じています。
■得意分野に比べ本業の生産性が低すぎた
上述した上級国際資格を取得したとき,その技術に関する仕事をそれまでより力を入れて取り組みました。国内初取得の資格を得たというモチベーションもあって,その仕事には意欲的に取り込むことができました。一方,その頃抱えていた他の仕事は,その意義は十分に理解していましたが,自分の興味に合わなかったせいか,全く成果が出ない状況に陥っていました。それまでは,会社の仕事はどんな仕事でも大切だと思い,自分の興味に合わなくても仕事を苦に思うことは全く無かったのですが,この時は自分のふがいなさに苦しい思いをしました。この頃から「このまま会社にしがみつくことが,自分や周囲にとって本当に良いことなのか?」という自問自答が始まりました。
それでも周囲は本当に暖かく接してくれていました。自分の気持ちさえ割り切ってしまえば,会社に居続ける選択もありました。独立に気持ちが向いていったのは,自分が好きな仕事をしたいという気持ちもありましたが,それよりも「このまま会社に居続けるとお荷物社員になってしまう。それでは同僚の皆さんに申し訳ない」という気持ちが大きかったのです。いや,これはちょっと格好付けてます。その根底には「お荷物社員だと思われる自分が嫌」という些細なプライドがあったのも確かです。
■コンサルタントとしてのスキルと度胸
独立という厳しい道ではなく,転職という選択肢も考えました。しかし,私が持っている資格はとてもニッチな資格で,この資格が転職の武器になるとは到底思えませんでした。また,私が従事してきた仕事は大企業での企業内技術サポートであり,転職先の候補が限られることも容易に想像できました。そんな状況で,40代後半で転職はおろか,社内の大きな異動さえ経験していない私が,転職しようとしても苦戦することは明らかでした。
では,独立するとして,どのように収入を得ていくのか。資格を生かすとなれば,やはり,コンサルティング,講師,著作(書籍,記事)といった仕事になります。これらの仕事は会社在籍時に経験しており,最低限のスキルは身に付いていました。コンサルティングは社内向けだけでなく,若いときに社外のお客様向けコンサルティングも経験しました。講師は20年間,社内の研修を継続的に実施してきました。著作に関しては,自分名義の書籍の出版は未経験ですが,上司の書籍出版で一部分の原稿執筆を行ったり,その出版の過程を見聞きしたりしました。
ただ,最低限のスキルで収入を得られるはずがありません。自分のスキルを客観的に見つめることができたのは,社外団体を経験してきたからでした。社外団体とは,各会社の代表者によって構成される団体であり,業界全体の課題解決を図ったり,情報交換や意見交換を通じてお互いのスキルを高め合うような活動を行っています。社外団体への参画は,ある程度の職位を得る30代後半以降に担当することが一般的ですが,私は20代半ばから参画する幸運に恵まれ,20年以上続けてきました。そこで他社の方々と議論させていただくうちに,自分の思考回路,発言力,議論を制御する能力(ファシリテーションスキルはその1つ)などのレベルをある程度把握でき,コンサルタントとして「なんとかなる」ではなく「なんとかする」という度胸だけは持てるようになりました。
■会計や金流の知識が身に付いた
会社での最後の数年間は,社内システムのサービスマネジメントを担当しており,そこで,サービス利用料の請求と回収,開発コストの見積や管理,開発管理(発注,請求),ソフトウェア資産の会社間移動(移管)などの処理を通じて,会計や金流の知識を得ることができました。エンジニアにとって,お金のことはできれば避けて通りたい話題であり,これらの会計処理を自分のタスクとして実施していても,正直なところ面倒に感じていました。ただ,独立するなら会計処理を避けて通れないと考えたとき,面倒という思いが消え,自分のためなら会計処理に前向きに取り組めるだろう,という気持ちになりました。後から思えば,会社のお金を他人事として捉えてしまったから面倒に感じたのであって,お金の取り扱い自体が面倒だったわけではない,ということに気づいたのです。
現に,自分の会社の会計仕訳はほとんど自分で行い,税理士にはチェックと決算業務をお願いしています。領収書を全て渡して仕訳も任せる場合に比べ,かなり安価な顧問料に抑えることができているのは,最後の数年間の経験のおかげです。
■社内で昇進できず
私が47歳で退職したとき,管理職になっていませんでした。40代で管理職になっていないというのは,昇進が遅いことを意味していました。仕事は昇進が全てではありませんし,現に私は会社での仕事に満足していました。ただ,若いときに思い描いていたプランと違っていたことは確かですし,自分にふがいなさを感じてもいました。自分の力はこんなものではない,ということをどこかで証明したい気持ちがあり,それには会社を飛び出すしかないと考えるようになりました。
独立して改めて感じたことは,やっぱり自分は会社が大きいことに甘えていたんだな,ということです。独立後のある時期,自分の会社とは別の会社の社員になり,再び都内に通勤する時期があったのですが,会社員時代は苦痛に感じていた通勤が,全く苦にならなかったのです。会社に所属できることの有り難みを実感したからだと思います。会社員の時にこそそれをきちんと理解しておくべきでしたし,自分なりに今のままではダメだと思い行動を変えようと努めましたが,なかなか変われませんでした。退職・独立したことで,甘えを断つことが少しはできているのかなと思います。
■社内の環境が良いときこそ飛び出す時機
私が退職する直前,会社の業績は堅調でした。また,私が退職を決意した頃,組織内の人事異動があり,私が新人の頃から同じ部署で共に働いてきた気心の知れた先輩が自分の部長と課長になりました。管理職から若手まで顔が利く状況にもなっていましたので,仕事の環境としては申し分ない状況ができていました。この状況なら自分のパフォーマンスも改善して,充実した仕事ができるのではないかと思い,退職の決意がかなり揺らぎました。
しかし,これだけ良い状況が揃ったときこそ,それに甘えてはいけないという思いもあったり,部長や課長が気心知れた先輩であれば,自分の退職をうまく取り扱ってくれるという安心感もあったりして,結局は退職を決断しました。退職する1年前,部長に退職の意思を告げたのですが,驚きつつもこの決断を応援してくださいました。部長は,私が新人として職場に配属されたとき,指導員としてエンジニアや会社人としてのイロハを教えてくださり,その後もずっと私が尊敬する先輩です。その先輩に,自分の会社員の始まりと終わりの両方を見届けていただくことになり,とても感慨深いご縁を感じています。
■退職金で子どもたちの学費を賄える
ここまで自分のことばかり書き記してきましたが,家族のことを抜きに考えることはできません。退職後はしばらく無収入になるリスクがあったわけで,それでも家族を養えるかどうかは,退職できるかどうかの重要な判断ポイントでした。2人の子どもたちのうち,上の子の学費は貯蓄から拠出可能でしたが,下の子の学費分の貯蓄が全く無い,さらに住宅ローンもまだ数百万円レベルで残っている,というのが当時の状況でした。
実は,純粋な退職金は勤続年数の割に驚くほど安く,それだけでは退職は到底不可能でしたが,早期に退職する人向けの制度があったはず,というかすかな記憶があったので調べたところ,退職して別の道に進む人に給料2年分が退職金扱いで上乗せ支給される制度を見つけました。これで下の子の学費が賄える状況になり,退職への障壁がまた1つ除去されたのでした。
■60歳を過ぎてからの仕事のあり方
私が勤めていた会社も他の大手企業と同様に,定年退職となる60歳以降も働き続けられる制度が整っています。ただし,制度が確立していても,当人や一緒に働く同僚が納得して働けるかどうかは別の話です。継続雇用ではなく再雇用となると,給与水準が低下する場合が多いです。また,ゼネラリスト型の管理職として活躍していた人が,管理職を解かれスペシャリストとしての仕事に適応するのにご苦労されるケースもあります。在職時に,再雇用で活躍される方を何人も拝見するうちに,再雇用や60歳での起業という道もあるけど,早く独立すれば60歳での難しい判断を回避できる,という考えが出てきました。
自分のプランとして,60歳でリタイアできれば理想的ですが,収入の面でも,時代背景の面でも,60歳でのリタイアは非現実的でしょう。なんだかんだで70歳くらいまでは頑張らないといけないのではないか,と感じているところです。独立したことで,その歳まで働ける環境はできました。あとは,自分の頑張り次第です。
以上が,私が独立を決めた理由です。私の退職を知った方の中には,身近に実際に退職・独立する人間が現れたことをきっかけに,ご自身の仕事を冷静に見つめ,別の道を真剣に考え,私に相談してくださるような方もいらっしゃいました。ただ,私はその方が高度なスキルを有していたとしても,独立せず組織に所属している方がよい,とお伝えしています。その思いは3年経った今も変わっていません。組織でなければ為し得ない仕事がたくさんありますし,独立すれば様々な雑事も自分で遂行しなければなりません。セーフティネットがさほど充実していない日本において,独立はもちろんのこと,いったん所属した組織を離脱することさえも,とてもリスクが高いと思います。
どうしても現在の組織で先が見えないのであれば,独立よりは転職の方がずっとよい選択肢だと思いますが,転職先で現在より状況が好転する保証はありません。独立や転職を考え始める前に,現在の組織で実行できることを全てやってみるべきです。自分自身の改革,目の前のタスクの意味や価値の再確認,自分が本当にやりたいことの探索,仕事仲間との関係性の強化,(それらが実を結ばなければ)社内転職,などなど組織の中でできることはたくさんあります。私も,そのような社内での再挑戦か,退職・独立か,どちらが自分にとって最善手なのか,数ヶ月考え続けました。上述した様々な要素の1つでも欠けていたら,会社に留まって頑張る道を選んだと思います。
退職直後のブログでも書いたのですが,独立というのは,業界内でネームバリューが高い人,企業で要職を歴任した人,定年退職等キャリアを完了した人,副業が本業を超えちゃった人,そんな人たちの道であり,そのどれでもない私には無謀な挑戦でしかありませんでした。3年間,どうにかやってこられたのは,お仕事をオファーしていただく数々の幸運に恵まれたからであり,自分の技術で仕事を切り拓くような状況には全くなっていません。まだまだ綱渡りであり,いつ綱から落ちてもおかしくない状態です。やるべきこと,やりたいことが山積し,さらに日に日に積み上がっています。それらに押しつぶされてしまうかもしれません。
しかしながら,それは全て自分が選んだ道であり,綱渡りもタスクの山も,独立したからこその貴重な経験なのだと思っています。自分の頑張りが直接的に収入を左右する点で,会社員時代より現在の方が充実していることは間違いありません。まだわずか3年。10年後,20年後に,この選択が正解だったと胸を張れるよう,これからも一日一日を大切に過ごしていこうと思います。