マイクを持てば酔っぱらい

~カラオケをこよなく愛するITシステムエンジニアのブログ~

ヒット曲

有線放送ランキングの定説を塗り替えたアイドル

 ヒット曲をランキング形式で発表し,1970~80年代に一世を風靡したテレビ番組「ザ・ベストテン」をはじめ,当時多かったテレビやラジオの音楽ヒットチャートランキングの多くは,何種類かのランキングを基に独自の総合ランキングを作成する,いわゆる総合ヒットチャート方式が採用されていました。「ザ・ベストテン」では,レコード売り上げ,ラジオ総合ランキング(TBS系列ラジオ局各局のランキングを集計),有線放送ランキング,はがきリクエストランキングの4種類を用いて,各ランキングの順位に応じた得点を合計することにより,総合ランキングが決定されました。この4種類の中で「有線放送ランキング」って何だろう?と思った方もいるかもしれません。1970~80年代の有線放送ランキングは,他のランキングと明らかに趣が異なっていて,それが総合ランキングを面白くしていたのです。

 そもそも有線放送とは何かという話は WikiPedia さんにお任せするとして,お店で延々曲が流れているケースの多くは有線放送だと思います。私の個人的な思い出としては,大学生のとき,バイト先の某バーガーチェーン店に有線放送が備えられており,そのお店では最新の J-POP のチャンネルで曲を流していました。有線放送で流れる曲は1週間単位とかでプログラムされているので,毎日同じ時間帯にバイトに入っていた私は,同じ曲を何度も聞いていました。その中で耳から離れなかったのは,曲のノリが J-POP 離れしていた「WON'T BE LONG」(バブルガム・ブラザーズ)と,歌詞と歌声が涙を誘う「会いたい」(沢田知可子)の2曲でした。ヒットする前から毎日耳にしていて,バイト仲間とも「この曲気になる」と話題にするくらい印象的だった2曲は,後々大ヒットしました。有線放送からヒット曲が出ると話には聞いていましたが,それを実感する経験でした。

 有線放送は,流してほしい曲をリクエストすることができるんです。当時は電話でリクエストできたのですが,バイト先のお店で実際にやってみたことがあります。電話した後,いつもと同じ曲が何曲か流れてから,少し大きめの音量でリクエスト曲が流れ,どういう原理かはわかりませんでしたが,へぇ~と思ったものです。有線放送のランキングとは,このリクエストの回数を1週間ごとに集計したものなのです。

 そういうことなら,人気がある曲がリクエストされるのだから,ランキングはレコード売り上げやはがきリクエストと大きくは変わらないのでは?と思う方もいるでしょう。1990年代以降はそうなっていくのですが,1970~80年代の有線方法ランキングは他のランキングと全然違う顔ぶれになることが珍しくありませんでした。全体的には演歌や大人向けの歌謡曲が上位に来る傾向が強く,例えば「つぐない」「時の流れに身をまかせ」でおなじみの テレサ・テン は,レコード売り上げでは最高位がベスト10に届くかどうかなんですが,有線放送では必ず1位を取り,ベスト10には次の曲が出るまで1年間ランクインし続けたりしていました。

 私は中学生になった1982年頃から,音楽ヒットチャートでおなじみのオリコンの週刊誌「オリコン・ウィークリー」を毎週立ち読みし,レコード売り上げだけでなく,有線放送など他のランキングにも目を通していました。また,当時TBSラジオで夜7時台に「毎日がベストテン」という番組が放送されていて,火曜日に有線放送ランキングが紹介されていたので,そこで普段は耳にしない,有線放送でのヒット曲を知ることができました。

 個人的にとても記憶に残っている曲の1つが「居酒屋」(五木ひろし・木の実ナナ)です。レコード売り上げでは全く上位に来ていないのに,有線放送の上位に長くランクされていたことを不思議に思いつつ,「有線放送は飲み屋に多く導入されているから,こういう大人な感じの曲が上位に来るんだな」と中学生なりに理解していました。この曲はカラオケのデュエット曲として大定番曲になり,平成の世になっても歌われ続けていますが,私の中ではデュエット曲としてよりも,有線放送の大ヒット曲として強く印象に残っています。 

 もう1曲,有線放送の大ヒット曲で思い出すのは「喝采」でレコード大賞を受賞した ちあきなおみ の「矢切の渡し」です。あれっ,細川たかし じゃないの?と思った方もいると思いますが,この曲は「氷雨」(佳山明生,日野美歌)のように複数の歌手が歌う,いわゆる競作作品であり ちあきなおみ の方が先に発売されました。ちあきなおみ 版は1983年の春先から有線放送1位に君臨しましたが,細川たかし 版は大ヒットするものの有線放送では1位を取ることができませんでした。

 ちあきなおみ の歌声は「矢切の渡し」の世界観にピッタリで,中学生の私でも強烈に引き付けられる魅力がありました。その一方で,細川たかし の朗々と歌い上げる雰囲気は,私には最後までしっくりきませんでした。さらに,細川たかし 版のレコードが年間2位の売り上げを記録し,2年連続でレコード大賞を受賞するのですが,ちあきなおみ 版のレコード売り上げが全然伸びない状況に対して,これは作為的な何かがあったんだなと,私は子どもながらに大人の事情というものを感じていました。ちあきなおみ 版は本当に素晴らしい作品だったのに,それがさほど世に出なかったことは1980年代ヒット曲シーンにおける汚点の1つだと私は今でも思っていますが,これは有線放送ランキングをチェックしていたからこそ感じられたことだったのです。

 さて本題の,有線放送ランキングの定説を塗り替えたアイドルの話。1980年代はアイドル全盛期でしたが,アイドルは有線放送ランキングでは苦戦していました。レコード売り上げでベスト10にランクするアイドルも,有線放送ではベスト20にもなかなか届きませんでしたし,松田聖子,近藤真彦,田原俊彦といったレコード売り上げ1位を取れる実力者でも,有線放送ではベスト10にどうにか入れるくらいで,ベスト5に届けば有線放送ランキングとしては大ヒットと言っていいような状況でした。

 しかも,有線放送ランキングの動きはレコード売り上げとタイムラグがあります。例えば 松田聖子 の曲が有線放送ランキングのトップ10に入るのは,レコード発売後3~4週間経ってからという感じでした。この頃のレコード売り上げは,初週に1位を取って翌週からは下がるだけというパターンが多かったので,有線放送ランキングが上がってくる頃レコード売り上げは下がってしまいます。「ザ・ベストテン」のような総合ヒットチャート方式で,トップアイドルでもなかなか1位を取れなかったのは,有線放送ランキングが弱く,レコード売り上げと同時期に上位を取れなかったことが原因の1つです。前述したように,1980年代の有線放送の主戦場は飲み屋であり,リクエスト曲にはやはり演歌や大人向けの歌謡曲が多かったことが,アイドル苦戦の理由と考えて間違いないでしょう。そう考えると「ザ・ベストテン」で唯一満点(9999点)を獲得した「YOUNG MAN」(西城秀樹)は,アイドルでありながら有線放送ランキングでも1位を取り,しかもそれがレコード売り上げの全盛期と同時期だという点で,本当に偉大なヒット曲だったということがわかります。

 アイドルが苦戦する有線放送ランキングの壁を乗り越えたアイドルが 中森明菜 でした。1982年に「少女A」でブレイクしますが,レコード売り上げは5位が最高位だったのに対し,有線放送ランキングが最高2位まで到達し,有線放送がレコード売り上げより上位に来るという,当時のアイドルではあり得ないチャートアクションを起こしました。次の「セカンド・ラブ」では,「3年目の浮気」「さざんかの宿」「氷雨」「冬のリヴィエラ」といった現在でも鮮烈な印象が残る演歌の大ヒット曲が有線放送ランキングの上位に並ぶ中で,年を跨いでベスト3を8週間もキープし,当時ヒットチャートを熱心にチェックしていた私は,アイドルがなんでこんなに有線放送に強いのか,すごく不思議だった記憶が鮮明に残っています。

 続く「1/2の神話」は,前述した ちあきなおみ と 細川たかし の二人の「矢切の渡し」の間に割って入り2位を3週間記録し,有線放送で演歌勢と対等に渡り合うアイドルという評価が完全に定着します。この2曲後の「禁区」でついに有線放送1位を記録。続く1984年の「北ウィング」では4週連続1位を記録し,以降,中森明菜 は有線放送でも当然のように1位を取る存在になりました。チャートアクションが早いことも特筆もので,同年の「飾りじゃないのよ涙は」では,レコード発売初週に早くも有線放送9位に登場すると,9位⇒3位⇒1位とレコード発売からわずか3週で1位に上り詰めました。

 圧巻は1986年の「DESIRE」。レコード発売3週目に1位を取ると,そこから11週連続1位というものすごい記録を打ち立てました(ランキング記録はこちらのサイトを参照)。当時は強力な演歌のヒット曲がなかったり,有線放送が飲み屋以外の様々な業態に広がりを見せたりした時期ではあったと思いますが,他のアイドルは相変わらず苦戦していましたので,中森明菜 の有線放送での強さは際立っていたと言えます。当時夜の仕事をしていた若い女性たちの多くが彼女を支持していたことも影響していたと思いますし,楽曲のクオリティーの高さがアイドルの域を超えていたことも,有線放送で強かった理由かなと思います。

 中森明菜 はアイドルとして最も成功した歌手の1人ですが,レコード売り上げでミリオンセラーがなかったり,オリコンで1位を阻まれる曲があったりと,記録面では恵まれない一面もあります。しかし,有線放送ランキングにおいては,中森明菜 は「アイドルは有線放送に弱い」という定説を覆し,有線放送に強いアイドルの先駆けであったという功績を残したのです。

 現在も有線放送という仕組みは健在ですが,飲み屋以外の業態のお店にも広く浸透し,音楽を聴く手段が多様化した今日では,有線放送にリクエストする層も変化したでしょうし,有線放送の独自性は薄れてきていると思います。私はもう20年以上,有線放送ランキングを定常的にチェックしていないので,どんな傾向にあるのか把握していませんが,たまにランキングを見るとCD売り上げとさほど変わらなかったり,アイドルの曲もきちんとランクインしていたりするので,1980年代の有線放送ランキングとはかなり様変わりしているのではないかと想像します。

 中学生の頃,大人の世界を垣間見る気分を味わうことができた1980年代の有線放送ランキング。情報の流通スピードが劇的に速くなり,様々な情報が似たり寄ったりになっていく現代を過ごしていると,異質なものの面白さが際立って感じられることがあります。昔の有線放送ランキングについ思いをはせてしまうのは,そんな面白さを存分に味わえたから…なのかもしれません。

シングルCD売り上げランキングで平成を振り返る

 平成を振り返るランキングの中で欠かせないのは,シングル曲売り上げランキングでしょう。音楽ランキング最大手のオリコンは,1988年からレコード売り上げにCDを合算するようになり,翌年の1989年(平成元年)にはCDが売り上げの大半を占めるようになります。平成においては 楽曲売り上げ = CD売り上げ であり,CDの利便性の高さもあってレコード盤よりも多くの売り上げを記録し,多くの名曲が生まれました。では,そのオリコンが発表した,平成シングル曲売り上げトップ20をご覧ください。

順位曲名売上枚数
アーティスト最大ヒット時期
1世界に一つだけの花312.7 万枚
SMAP2003年(平成15年)4月
2TSUNAMI293.6 万枚
サザンオールスターズ2000年(平成12年)3月
3だんご3兄弟291.8 万枚
速水けんたろう,茂森あゆみ,ひまわりキッズ,だんご合唱団1999年(平成11年)3月
4君がいるだけで289.5 万枚
米米CLUB1992年(平成4年)6月
5SAY YES282.2 万枚
CHAGE & ASKA1991年(平成3年)9月
6Tomorrow never knows276.6 万枚
Mr.Children1994年(平成6年)12月
7ラブ・ストーリーは突然に258.8 万枚
小田和正1991年(平成3年)3月
8LOVE LOVE LOVE248.9 万枚
DREAMS COME TRUE1995年(平成7年)8月
9YAH YAH YAH241.9 万枚
CHAGE & ASKA1993年(平成5年)3月
10名もなき詩230.9 万枚
Mr.Children1996年(平成8年)3月
11桜坂229.9 万枚
福山雅治2000年(平成12年)5月
12CAN YOU CELEBRATE?229.6 万枚
安室奈美恵1997年(平成9年)3月
13DEPARTURES228.8 万枚
globe1996年(平成8年)2月
14WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント213.5 万枚
H Jungle with t1995年(平成7年)4月
15Automatic206.3 万枚
宇多田ヒカル1999年(平成11年)2月
16TRUE LOVE202.3 万枚
藤井フミヤ1993年(平成5年)12月
17愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない202.1 万枚
B'z1993年(平成5年)4月
18恋しさと せつなさと 心強さと202.1 万枚
篠原涼子 with t.komuro1994年(平成6年)9月
19愛は勝つ201.2 万枚
KAN1991年(平成3年)1月
20ロード199.7 万枚
THE 虎舞竜1993年(平成5年)3月

 ヒットしたかどうかはCD売り上げ以外にもいろいろな指標がありますが,このランキングに登場する楽曲は間違いなく平成の大ヒット曲と言えますね。では,これらの曲を時系列に見ていきます。1990年(平成2年),フジテレビ系バラエティー番組「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」の挿入歌となった「愛は勝つ」(KAN,19位)は,年末から火がつき年を越しても爆発的に売れ続けました。「おどるポンポコリン」に続き100万枚を大きく超えるヒットになったことで,レコード盤を明らかに上回るCDのセールスパワーが世間に認知されていきます。

 1991年(平成3年)1~3月クールのフジテレビ系月曜9時のドラマ,いわゆる「月9」で「東京ラブストーリー」が大ヒット。この主題歌である「ラブ・ストーリーは突然に」(小田和正,7位)が2月に発売されると,発売初週にあの「およげ!たいやきくん」が持っていた週間売り上げ枚数記録(72万枚)を塗り替える74万枚の売り上げを叩き出し,翌月3月には200万枚,いわゆるダブルミリオンに到達しました。その後の平成ダブルミリオン連発の先陣を切ったのです。

 その後「月9」は,同年7~9月クール「101回目のプロポーズ」から「SAY YES」(CHAGE&ASKA,5位),1992年(平成4年)4~6月クール「素顔のままで」から「君がいるだけで」(米米CLUB,4位)という「ラブ・ストーリーは突然に」超えのメガヒットを輩出。さらに,1993年(平成5年)10~12月クール「あすなろ白書」から「TRUE LOVE」(藤井フミヤ,16位),1996年(平成8年)1~3月クール「ピュア」から「名もなき詩」(Mr.Children,10位),1997年(平成9年)1~3月クール「バージンロード」から「CAN YOU CELEBRATE?」(安室奈美恵,12位)と,合計6曲が平成トップ20にランクインしました。改めて「月9」のドラマと主題歌のすごさがわかりますし,ドラマの名前や曲名から当時を思い出す方も多いのではないでしょうか。

 時系列を1993年(平成5年)に戻すと,三谷幸喜 脚本のフジテレビ系ドラマ「振り返れば奴がいる」の主題歌「YAH YAH YAH」(CHAGE&ASKA,9位),有線放送から大ヒットとなった「ロード」(THE 虎舞竜,20位),アーティストパワーが最高潮に達した「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」(B'z,17位)と,立て続けにメガヒットが生まれます。1994年(平成6年)に入ると,小室哲哉 プロデュースの「恋しさと せつなさと 心強さと」(篠原涼子 with t.komuro,18位)と,フジテレビ系ドラマ「若者のすべて」の主題歌「Tomorrow never knows」(Mr.Children,6位)が続きました。

 1995年(平成7年)はCDが最も売れた年と言われ,数多くの名曲が誕生したのですが,この年も 小室哲哉 プロデュースの「WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント」(H Jungle with t,14位)と,TBSテレビ系ドラマ「愛していると言ってくれ」の主題歌「LOVE LOVE LOVE」(DREAMS COME TRUE,8位)という2曲のダブルミリオンが生まれました。翌1996年(平成8年)には 小室哲哉 自身が参加した「DEPARTURES」(globe,13位)が「JR SKI SKI」のCMタイアップ効果で大ヒットしました。

 1998年(平成10年)末,弱冠15歳にして J-POP R&Bに新風を吹き込んだ「Automatic」(宇多田ヒカル,15位)が現れると,昭和を代表する演歌歌手 藤圭子 の2世というプロフィールも追い風になり,翌1999年(平成11年)に入ってビッグヒットに。ちなみにこの頃,シングルCDは 8cm 版(縦長のパッケージ)から 12cm 版(アルバムと同じサイズで「マキシシングル」と呼ばれていた)に移行する過渡期で,この曲は両方のサイズが発売され,別々のCDとして売り上げ枚数や順位が集計されていました。ですから,掲載記事によっては200万枚も売れていないように記載されている記事もあると思いますが,今回紹介したランキングでは,8cm 版(売り上げ 77.2 万枚)と 12cm 版(売り上げ 129.1 万枚)の売り上げが合算されています。宇多田ヒカル は3月にアルバム『First Love』を発売し,アルバム売り上げ歴代1位となる 765 万枚という驚愕の売り上げを記録。音楽の枠を越えた社会現象になっていきました。

 1999年(平成11年)のもう1つの社会現象が,NHKテレビ「おかあさんといっしょ」で発表された「だんご3兄弟」(アーティスト名略,3位)。CDが入荷するとすぐに売り切れる状況がしばらく続き,子ども向けの歌としては「およげ!たいやきくん」以来の大ブームが巻き起こりました。上述した J-POP 歴代ビッグヒット曲でも到達しなかった 290 万枚の売り上げを記録したのです。

 2000年(平成12年)を迎えると,「TSUNAMI」(サザンオールスターズ,2位)と「桜坂」(福山雅治,11位)という2曲のダブルミリオンが誕生しますが,これらはTBSテレビ系バラエティ番組「ウンナンのホントコ!」の中の人気コーナー「未来日記」のテーマ曲でした。番組ではなくコーナーソングが大ヒットすることは異例であり,コーナーの人気と楽曲の完成度が非常に高かった証と言えるでしょう。特に「TSUNAMI」はサザン史上最高傑作を狙って作られたと言われる楽曲で,サザンの古参ファンも絶賛,若者にはサザンの実力が伝わり,サザン史上はもちろん,平成史上でも当時最高の売り上げを記録しました。CDの売り上げが下降傾向にあったこともあり,「TSUNAMI」を抜く曲は現れないだろうと思った方も多かったはずです。

 2003年(平成15年),槇原敬之 作詞・作曲のアルバム収録曲「世界に一つだけの花」(SMAP,1位)が評判を呼びシングルカットされると,「No.1 にならなくていい 元々特別な Only One」という歌詞のメッセージ性を,小室哲哉 プロデュースのグループ dos のメンバーを経て振付師となっていた KABA.ちゃんが手掛けた親しみやすいサビの振付に乗せて,既に国民的アイドルとなっていた SMAP が歌ったことで,現代の国民愛唱歌になりました。発売1年後の売り上げ枚数は250万枚強でしたが,2016年の SMAP 解散問題に端を発した購買運動によって,ついに「TSUNAMI」を上回る売り上げ 300 万枚の大台に到達したのでした。

 ここまでで平成CD売り上げトップ20が出尽くしました。平成の後半となる2004年(平成16年)以降,音楽を聴くスタイルがCDから配信に移ったことや,テレビの影響力低下などにより,CDの売り上げは減少傾向となりました。AKB48 が大ブレイクし売り上げを牽引しましたが,総選挙商法をもってしてもダブルミリオンには至りませんでした。このことからも,平成トップ20の売り上げがいかにすごいかがわかりますね。

 今度は,アーティストの観点からトップ20を見てみましょう。まず目立つのは,トップ10に2曲ずつ送り込んでいる CHAGE&ASKAMr.Children。ダブルミリオンを1曲輩出するだけでも驚異ですが,彼らは2曲ずつ生み出しており,平成CDバブルの恩恵を享受した2組と言えるでしょう。彼らをはじめトップ20のうちの14曲バンド,グループ,ユニット等ソロではない楽曲で占められています。H Jungle with t や 篠原涼子 with t.komuro は実質的にはソロですが,横に 小室哲哉 が居たことの効果は大きかったと思います。純粋なソロは6曲だけで,しかもそのうち 小田和正,安室奈美恵,藤井フミヤ はかつてグループのボーカルだったことを考えれば,ソロでメガヒットを出すことがいかに難しいかがわかります。その意味で 福山雅治,宇多田ヒカル,KAN は本当にすごいです。この3人は皆シンガーソングライターであり,自分で作った曲だからこそ多くの人に支持されたのでしょう。

 平成前半はなんといっても 小室哲哉 プロデュース全盛期でしたが,小室作品で最も売り上げが多いのは12位の「CAN YOU CELEBRATE?」。さらに13位,14位,18位と計4曲をトップ20に送り込んだのはさすがですが,平成トップ10には届きませんでした。様々なアーティストに楽曲提供を行った 小室 でしたが,初のダブルミリオンが,アーティストが本業ではない ダウンタウン・浜田雅功 に提供した「WOW WAR TONIGHT」なのは,ちょっと考えさせられる結果です。ただ,この曲は,歌詞が会社員に刺さる部分が多々あったり,音楽面ではジャングルというジャンルが浜ちゃんのボーカルに見事にマッチした,小室 史上の最高傑作だと私は思います。

 平成を代表する2大ユニットと言える,DREAMS COME TRUEB'z。DREAMS COME TRUE が順当にトップ10入りしているのに対し,B'z の17位は思ったほど上位ではないと感じる方も多いと思います。実は'90年代の B'z は,話題性の高いドラマや大型CMのタイアップがほとんどなかったのです。「愛のままにわがままに…」は日本テレビ系ドラマ「西遊記」の主題歌でしたが,これは'70年代に 堺正章 が孫悟空を演じたあの有名なドラマのリメイク版で,(連続ドラマではなく)単発ドラマでした。B'z が話題性の高いドラマに起用されたのは2000年になってからです(TBSテレビ系ドラマ「Beautiful Life」の主題歌「今夜月の見える丘に」)。'90年代に大型タイアップが付けば,トップ10に入る売り上げを残せたのではないかと思います。逆に言えば,大型タイアップなしでもダブルミリオンが出せるのは B'z のアーティストパワーの賜物と言えます。B'z は固定ファンの数が圧倒的で,大型タイアップがなくてもシングル曲が常にミリオンセラーになるのが B'z のすごいところで,売り上げ100万枚のシングル曲が15曲もあります。平成トップ20では17位に留まりましたが,B'z のすごさはこのランキングでは語れないものがあります。

 タイアップという視点で平成トップ20のランキングを見ると,ほとんどが話題のドラマやテレビ番組のタイアップ曲で占められています。タイアップは昭和の時代からヒットの方程式の1つではありますが,平成のタイアップの特徴は,力のあるアーティストに話題のタイアップが付き,アーティストパワーとタイアップパワーの相乗効果でメガヒットが生まれた,ということです。平成トップ20の中で,アーティストパワーが弱くタイアップパワーの恩恵が大きかったのは「だんご3兄弟」と「愛は勝つ」くらいで,タイアップパワーなしで楽曲の完成度でヒットした「Automatic」「ロード」を除く他の曲はどれも,既に十分な実力を備えるアーティストが,タイアップによってビッグヒットを生み出したのです。

 昭和の時代には,タイアップはアーティストが世に出るための手段として機能しており,タイアップはさほど有名でないアーティストに付くのが一般的でした。平成に入っても「おどるポンポコリン」や「愛は勝つ」あたりまではその流れが残っていましたが,1991年,小田和正 の「ラブ・ストーリーは突然に」がターニングポイントになったと言っていいでしょう。十分な実績あるアーティストが提供するクオリティの高いタイアップ曲が,ドラマの人気を決定的にする,さらには人気を押し上げるという現象が生まれました。その後の「SAY YES」「君がいるだけで」の大ヒットにより,この流れが加速したように思います。中には「どんなときも」の 槇原敬之 や「TOMORROW」の 岡本真夜 のように,タイアップがきっかけとなってアーティストとしての地位を確立した人たちもいましたが,昭和の頃よりもそういう人たちは少なくなり,平成では「アーティストとして力を付け大型タイアップを獲る」という図式が確立していったように思います。

 このようなビッグアーティストによるタイアップが,昭和の頃にはほとんどなかったダブルミリオンの連発を生み出した,と考えることもできます。レコード盤からCDに移行しディスクの扱いが簡単になったことが,売り上げ増加の主因と考える意見もありますが,プラットフォームが進化してもコンテンツが良くなければそこまで売れませんから,ビッグアーティストのタイアップというのは平成のCDマーケットのおける大きな特徴と考えてよいと思います。

 取り留めなく書き連ねてきましたが,総括すると,レコード盤からCDへの移行ビッグアーティストによるタイアップの増加,さらに電子楽器の進化に伴う楽曲のクオリティの向上,こういった要因が重なり,ビッグアーティストがダブルミリオン級のヒットを連発した結果が,このような平成シングルCD売り上げランキングとなって表れたと言えそうです。

 CD売り上げは平成の後半から,ジャニーズ,AKBグループ,坂道グループなど一部のアーティストが寡占し,さらに楽曲やPVの配信などCD以外に音楽が世間に認知される手段とその影響力が増大したことにより,CD売り上げランキングがヒットをうまく表せなくなってきています。令和の時代は,CD売り上げはランキングの主役ではなくなり,ヒットの指標として様々なランキングが参照される時代になることでしょう。

平成カラオケランキング DAM vs JOYSOUND 比較

 先日「平成カラオケランキング」としてカラオケ2大メーカーの DAM と JOYSOUND から発表されたものを本ブログに掲載しました。ランキングの集計期間は平成元年からではなく,DAM は平成6年(1994年)~,JOYSOUND は平成5年(1993年)~ なのですが,この頃からカラオケが爆発的に普及していったので,集計期間が多少欠けていても平成全体を表していると考えてよいと思います。DAM と JOYSOUND ではランキングが異なっていますので,ベスト30を横並びで見ることにより各メーカーの特徴を捉えつつ,平成のカラオケを振り返ろうと思います。

《凡例》 黄色フォント:他方より上位/同順位 茶色網掛け:一方のみランクイン

DAM順位JOYSOUND
ハナミズキ1残酷な天使のテーゼ
小さな恋のうた2ハナミズキ
残酷な天使のテーゼ3小さな恋のうた
天城越え4チェリー
チェリー5キセキ
世界に一つだけの花6未来予想図II
Story7サウダージ
キセキ8天体観測
I LOVE YOU9アゲハ蝶
涙そうそう10I LOVE YOU
DAM順位JOYSOUND
北の旅人11タッチ
TSUNAMI12シングルベッド
酒よ13TSUNAMI
北空港14fragile
居酒屋15そばかす
シングルベッド16世界に一つだけの花
純恋歌17天城越え
粉雪18粉雪
桜 (コブクロ)19愛唄
(ORANGE RANGE)20
DAM順位JOYSOUND
栄光の架橋21HOWEVER
奏 -かなで-22花 (ORANGE RANGE)
ふたりの大阪23CAN YOU CELEBRATE?
つぐない24栄光の架橋
未来予想図II25Story
タッチ26夏祭り
愛唄27奏 -かなで-
雪の華283月9日
29純恋歌
時の流れに身をまかせ30First Love

 ベスト3は両方とも同じ曲が入りました。「残酷な天使のテーゼ」が DAM では3位ですが JOYSOUND では1位になりました。スナック等の酒場に強い DAM と,カラオケルームが主戦場の JOYSOUND の違いがここに表れています。JOYSOUND は利用者の年代層が DAM より若く,アニメソング(アニソン)が多く歌われる傾向がありますので,アニソンの大名曲である「残酷な天使のテーゼ」が1位になるのは納得です。逆に言えば,DAM でも3位に入ったのですから,アニソンの中でも飛び抜けて多く歌われたということでしょう。

 「天城越え」は DAM の方が上位に来ており,ここにも酒場に強い DAM の傾向が表れています。JOYSOUND では17位となっていますが,それでも演歌では JOYSOUND ベスト30で唯一ランクインしていることは特筆すべきでしょう。DAM だけランクインしている曲に「北の旅人」「酒よ」や,テレサ・テンの「つぐない」「時の流れに身をまかせ」など演歌系が多いのは,さすが DAM だなぁと思います。演歌系の流れで言うと,「北空港」「居酒屋」「ふたりの大阪」とデュエット曲が3曲も入っているのは DAM ならではです(JOYSOUND はベスト50でも無し)。いずれも1980年代の楽曲ですが,平成でも歌われ続けたということは,この頃の楽曲がいかに親しまれているかを示していると言えるでしょう。

 演歌系ではない「世界に一つだけの花」「Story」「純恋歌」あたりは,なぜ DAM の方が上位なのかちょっと不思議な感じがしますよね。これらの曲は誰もが知っている有名な曲なので,職場などのカラオケで様々な世代が一緒に歌うような状況では,若い世代がみんなに分かる曲を選んで歌うのでは?と私は予想しています。逆に,上の世代の人が,若い世代でも分かる曲としてこれらの曲を歌っている可能性もありそうですね。

 JOYSOUND のランキングに目を移すと,DAM のベスト30に入っていない曲がベスト10に3曲もランクインしています。「天体観測」はなるほどという感じですが,ポルノグラフィティが「サウダージ」「アゲハ蝶」と2曲もベスト10に送り込んでいるのは,個人的にはやや意外な感じがしました。これら3曲はいずれも2000~2001年の楽曲で,この頃は主要な男性アーティストのヒットが一段落し,当時の男子高校生・大学生が歌える曲の代表がこの3曲だったのかもしれません。

 他に JOYSOUND だけにランクインしている曲を見ると,Every Little ThingJUDY AND MARYGLAY安室奈美恵宇多田ヒカルといった平成を代表するアーティストが並んでいて,その点では JOYSOUND の方が平成という時代をよく映していると言えるかなと思います。これらの中に Whiteberry の「夏祭り」が肩を並べているのはすごいです。オリジナルは平成初期のイカ天バンドブームで出てきた JITTERIN'JINN の楽曲ですが,カバーがオリジナルを遥かに凌駕し平成を代表するヒット曲になった稀有な例ですね。

 個人的におやっ?と思うのは「未来予想図II」でしょうか。むしろ DAM の方が上位に来てもよさそうな曲ですが,DAM の25位は思ったより下位で,JOYSOUND6位の方がこの曲に相応しい順位のように感じます。実はこの楽曲は,シングル曲ではなくアルバム収録曲なんですよね(後からシングルのカップリングで収録されていますが)。シングルではない曲がこれだけ歌われるって,とんでもないことだなぁと思います。

 アルバム収録曲となると,DAM と JOYSOUND の両方でベスト3に入った「小さな恋のうた」こそ,平成においてカラオケがヒットに最も強く影響した楽曲と言えるでしょう。このアルバムはCDのレンタル提供がされておらず,ネット配信もなかった時代ですから,CDを購入しないと音源が入手できず,しかもCDがインディーズ販売というハンデがある中で,カラオケでこれだけ歌われていることは驚異的であり,奇跡の1曲としか言いようがありません。カラオケで歌い継がれたり,後世の多くのアーティストにカバーされたりして,平成が終わる現在でも楽曲の存在感が増しているとさえ感じられます。

 こうやって平成のカラオケランキングを眺めると,CD売上や配信のランキングよりもこちらの方がヒット曲が並んでいる印象が強いと感じます。「ハナミズキ」「シングルベッド」「栄光の架橋」といった楽曲は,各曲が最もヒットした年の年間ヒットチャートベスト10にも入っていないのですが,大ヒット曲という印象をお持ちの方も多いのではないでしょうか。「カラオケで多く歌われる曲は名曲である」 … これはカラオケ文化がもたらした平成ヒット曲の法則と言ってよさそうです。

「世界に一つだけの花」歴代最高のヒット曲に

 SMAP の解散は2016年の大きなニュースでしたが,解散がきっかけとなって「世界に一つだけの花」が歴代最高のヒット曲になりました。歴代最高とは,ここでは総合ヒットチャート方式の総得点(=毎週の得点の合計)が,1978年以降で最も大きくなったことを意味します。

 総合ヒットチャート方式とは,伝説のテレビ番組「ザ・ベストテン」に代表される方式で,何種類かのランキングに基づいて独自の総合ランキングを作成する方式です。「ザ・ベストテン」では,レコード売り上げ,ラジオ総合ランキング(TBS系列ラジオ局各局のランキングを集計),有線放送ランキング,ハガキリクエストランキングの4種類を用いて,各ランキングの順位に応じた得点を合計することにより,総合ランキングが決定されました。

 「ザ・ベストテン」では各週の最高得点が 9999 点に設定されており,1週間で獲得できる点数はこれが上限になります。一方,レコードやCDの売り上げは,1週間で一気に100万枚を売ることも可能であり,上限がありません。また「ザ・ベストテン」では,10位でも 6000 点程度になるので,1位に1週間ランクインするより,10位に2週間ランクインする方が総得点が高くなります。よって,瞬間的にヒットするよりも,長い期間ヒットする曲の方が総得点が高くなり,年間ランキングや歴代ランキングで上位に来るのが総合ヒットチャート方式の特徴です。

 例えば,2016年AKB48 のケースを見ると,CD売り上げは年間上位ベスト4を独占していますが,総合ヒットチャートでは年間ベスト10に1曲しかランクインしていません(しかもその曲はCD売り上げ年間ベスト4とは別の曲です)。特に最近は,発売最初の週に爆発的に売り上げた後,2週目以降売り上げが激減する曲が多く,このような曲は総合ヒットチャートにおいても最初の週は上位に来ますが,すぐ下位にランクダウンしてしまいます。これでは,総得点が伸びないので,年間ランキングで上位に来ることができません。近年,CD売り上げと総合ヒットチャートで年間ランキングが全然違っているのは,このような状況があるからです。「世界に一つだけの花」がすごいのは,このような昨今の状況下にもかかわらず,CD売り上げと総合ヒットチャートの両方で数字上の記録を残したことです。

 では,下記の主な超大ヒット曲のデータ(出典:チャート梁山泊)と見比べながら「世界に一つだけの花」がいかにすごいヒット曲になったかを説明していきます。

曲名総得点1位Best10Best20
ルビーの指環196,62712週18週22週
長良川艶歌234,16719週39週
おどるポンポコリン314,7329週30週40週
世界に一つだけの花(2003~04年)251,5216週17週30週
   〃   (2016年)215,9841週26週30週
   〃   (合計)467,5057週43週60週

 ザ・ベストテン時代(1978~89年)のビッグヒットとして多くの方が思い浮かべるのは,1981年に12週連続1位を記録した「ルビーの指環」(寺尾聰)でしょう。ベスト10には18週(約4ヶ月)ランクインし,総得点は約20万点です。総得点=ベスト10ランクイン週数×1万 くらいが目安です。ベスト10に8~10週ランクインし,総得点が10万点に届けば大ヒットと言えるので,「ルビーの指環」はやはりものすごいヒットだったことが数字に表れています。

 しかし,ザ・ベストテンの総得点歴代最高は「ルビーの指環」ではなく,1984年に大ヒットした「長良川艶歌」(五木ひろし)です。この曲は,ベスト10に19週,ベスト20にはなんと39週もランクインしたため,毎週の得点がコツコツと積み上がって23万点もの総得点になりました。この曲は,レコード売り上げはミリオンセラーには遠く及びませんが,総合ヒットチャート方式では上述のようにロングヒットの方が総得点が高くなるので,「長良川艶歌」はその傾向が最も顕著に表れた例です。

 ザ・ベストテン終了直後に,総合ヒットチャート史上最強のヒット曲が登場しました。1990年年間1位の「おどるポンポコリン」(B.B.クイーンズ)です。この年始まったテレビアニメ「ちびまる子ちゃん」の主題歌として大ブームを巻き起こし,ベスト10に半年以上ランクインする超ロングヒットを記録。総得点が初めて30万点を超えました。1990年以降はチャート梁山泊オリジナルランキング(ザ・ベストテンを模したランキングを現在でも独自に作り続けています)なので,厳密に言えばザ・ベストテンの得点と並べて比較することはできないのですが,もしザ・ベストテンが続いていたら同じような点数になっていただろうと思います。ベスト10に30週もランクインするのは驚異的で,もうこのようなモンスターヒット曲は現れないだろうと私は思っていました。

 「世界に一つだけの花」は,2003~04年,ベスト10に17週ランクインし「おどるポンポコリン」に次ぐ総得点を記録していました。ここまででも異例の大ヒットと言えるのですが,解散の風評が流れた2016年当初から再びランクインしてきました。これは,解散を惜しむファンのCD購買運動がきっかけでしたが,売り上げ枚数が伸びて300万枚に近づいたことで,CD売り上げ300万枚を達成しようという流れも加わりました。これにより,2016年だけでベスト10に26週もランクインし,21万点を上積みしました。この得点は,年間1位になった2003年の18万点より高い得点であり,いかに解散を惜しむ声が大きかったかを示しているように思います。年間1位を2回獲るだけでも偉業ですが,それを13年も経ってから達成することは驚きですし,総得点46万点歴代3位と4位(「はじまりはいつも雨」「長良川艶歌」)の合計に匹敵する点数であり,ヒットチャート史上に燦然と輝く記録を残しました。

 2016年暮れにCD売り上げが300万枚に達したことが大々的に話題になりましたが,ヒットチャートウォッチャーにとっては,総合ヒットチャート歴代ランキングで「おどるポンポコリン」の総得点を超えたというのはとても感慨深いニュースでした。CD売り上げだけでなく総合ヒットチャートでも歴代最高を記録したという点で「世界に一つだけの花」は真の歴代最高ヒット曲になったと言えるでしょう。SMAP 解散はとても残念ではありますが,「世界に一つだけの花」という素晴らしい楽曲は,皆さんの心の中とヒットチャートの記録の中で生き続けていくことでしょう。

歌謡曲(J-POP)まだある昭和の当たり年

  • めだかの兄妹」 わらべ
  • め組のひと」 ラッツ&スター
  • 初恋」 村下孝蔵
  • メリーアン」 アルフィー
  • キャッツ・アイ」 杏里
  • 僕、笑っちゃいます」 風見しんご
  • ボヘミアン」 葛城ユキ
  • 悲しい色やね」 上田正樹
  • 想い出がいっぱい」 H2O
  • そんなヒロシに騙されて」 高田みづえ
  • 君に胸キュン」 Y.M.O.
  • 恋人も濡れる街角」 中村雅俊
  • ドラマティック・レイン」 稲垣潤一
  • ラヴ・イズ・オーヴァー」 欧陽菲菲
  • ギャランドゥ」 西城秀樹

 さらに演歌勢では「矢切の渡し」「さざんかの宿」「氷雨」「冬のリヴィエラ」「釜山港へ帰れ」「夢芝居」「3年目の浮気」「居酒屋」「浪花恋しぐれ」…曲名を聞けばすぐフレーズが浮かんでくる懐かしい名曲の数々。これらが全て同じ年のヒットと知れば驚きですよね? 1979年に負けず劣らず,個人的にはこちらの方が思い入れの強い年,それが1983年(昭和58年)です。

 この年はアイドルが大活躍しました。「花の82年組」と言えば1982年にデビューした大豊作アイドルの総称ですが,彼らは,デビューからヒットしていた シブがき隊 や 松本伊代 を除くと,デビュー翌年の1983年に続々とブレイクします。早見優 は「夏色のナンシー」で,堀ちえみ は「さよならの物語」「夏色のダイアリー」,石川秀美 は「Hey!ミスター・ポリスマン」でベスト10ヒットを飛ばし,以降数年間ベスト10の常連になっていきます。今でこそ大御所のキョンキョンこと 小泉今日子 も,この年の「春風の誘惑」でやっとブレイクし,「まっ赤な女の子」「艶姿ナミダ娘」で不動の人気を獲得します。

 82年組の中で一足早くデビュー年に「少女A」でブレイクした 中森明菜 は,続く「セカンド・ラブ」が1982年から越年で(ザ・ベストテン)8週連続1位という彼女最大のビッグヒット,次の「1/2の神話」も(同)7週連続1位を記録し,モンスターアイドルの地位を確立したのがこの年でした。また,角川映画のアイドルでは,薬師丸ひろ子「探偵物語」(作曲:大瀧詠一)が(オリコンで)7週連続1位,原田知世が「時をかける少女」(作曲:松任谷由実)で大ヒットしました。作曲者を見ると,角川映画の力の入れ具合がわかりますね。

 既に活躍していた聖子・トシ(田原俊彦)・マッチ(近藤真彦)は,この年は少し大人しかったのですが,それでも 田原俊彦 は「さらば…夏」で日本歌謡大賞を受賞。松田聖子 は「SWEET MEMORIES」が異例のヒットを記録しています。「ガラスの林檎」のB面(カップリング)に収められたこの曲は,サントリーのCMで使われた当初歌手が伏せられており,聖子だと判明して話題が沸騰。「ガラスの林檎」でオリコン1位になった後いったんベスト10圏外に落ちてから,途中で両A面シングルになり,再び1位に返り咲きました。両A面シングルの売上が通算されたため,「あなたに逢いたくて」が登場するまで聖子最大のセールス曲になりました。

 また,同じように既にベスト10常連になっていた 河合奈保子 は「エスカレーション」「UNバランス」で大人路線への転換に成功し,柏原芳恵 は「春なのに」が 中島みゆき 作詞作曲の卒業ソングとして大ヒット。このようにアイドルが確かな実力を付けながらヒットチャートを席巻したのが1983年の大きな特徴です。そこに,冒頭で紹介した J-POP や演歌も加わり,名曲揃いのヒットチャートになっています。

 ニューミュージック系では「メリーアン」の アルフィー,「ドラマティック・レイン」の 稲垣潤一 がブレイクし,「サマー・サスピション」の 杉山清貴&オメガトライブ がデビューしています。ちなみに「ドラマティック・レイン」の作詞は 秋元康 で,この曲が作詞家として最初のメジャーヒットなのです。また,この時代は,化粧品CMタイアップ曲がヒットの登竜門で,春には epo「う、ふ、ふ、ふ、」や元キャンディーズの 藤村美樹「夢・恋・人」,夏には シャネルズ から改名した ラッツ&スター「め組のひと」,Y.M.O.「君に胸キュン」が大ヒット。面白いところでは夏のコーセー化粧品タイアップの もんたよしのり&大橋純子「夏女ソニア」が,パワフルボーカル同士というツウなデュエット名曲です。

 演歌勢も大ヒットが多かったこの年に起きたのが競作ブームです。競作とは,同じ曲を複数の歌手が歌うことで,「氷雨」の 佳山明生日野美歌 が両方大ヒットしたことがブームの発端になったと思います。「釜山港へ帰れ」は韓国出身の チョー・ヨンピル が歌った曲ですが,「夢追い酒」で知られる 渥美二郎 もヒットしました。忘れてはいけないのは「矢切の渡し」も競作だったこと。有線放送で先にヒットしたのは「喝采」が有名な ちあきなおみ でしたが,細川たかし を優先して同じレコード会社だった ちあきなおみ の販売を縮小し,結局 細川たかし は大ヒット。競作だとパイの食い合いになる場合も多いので最近はほとんどありませんが,当時は競作が相乗効果を生んでヒットが生まれる,という活況があったのです。

 他にも,横浜銀蝿の妹分として出てきた 岩井小百合 とか,ヨッちゃんこと 野村義男 のバンド The Good-Bye とか,伊武雅刀「子供たちを責めないで」とか,ネタが尽きない1983年。この頃の私は,土曜日は,FM東京(現 TOKYO-FM)の「コーセー歌謡ベスト10」とニッポン放送の「オリコンヒット速報」を聞き,日曜日は朝からTBSラジオ「森田公一青春ベストテン」とニッポン放送「不二家歌謡ベストテン」,昼はTBSラジオ「ハロー!ベストテン」と文化放送「決定!全日本歌謡選抜」をはしごするという,ラジオのヒットチャート番組を聞きまくる週末を過ごしていました。中学生という最も多感な時期に流行音楽とヒットチャートに親しんだことが,現在の,歌好き,カラオケ好き,ラジオDJや司会進行好きにつながっていることは間違いありません。そしてそこには,良質な歌の数々があったんだなぁと改めて感じ入るところであります。

<1983年(昭和58年)の年間チャート>

歌謡曲(J-POP)1995年最強説

 芸人・タレントの爆笑問題・田中裕二が唱える「1979年最強説」に倣って,私は「1995年最強説」を唱えたいと思います。1995年(平成7年)は,阪神淡路大震災やサリン事件が起こり,バブル崩壊の後遺症にあえぐ大変な年だったのですが,歌謡界は史上空前の活況を呈したと言える年です。さっそくヒット曲を見てみましょう。

1995年の年間チャート>

 まずは,CD売り上げが絶頂の年だったことをご紹介します。オリコン年間チャートの10位の曲でも年間売り上げ枚数が150万枚を超えています! この頃の前後数年間は年間ベスト10が全てミリオンセラーになっていますが,ベスト10全曲が150万枚を超えている年は1995年だけです。ダブルミリオン(売り上げ200万枚)は「LOVE LOVE LOVE」「WOW WAR TONIGHT」の2曲ですが,さらに「Tomorrow never knows」が前年からの年またがりでダブルミリオンを達成しており,この年は3曲のダブルミリオンが誕生するという現象が起きています。

 「ザ・ベストテンを模した総合ランキング」について説明が必要ですね。TBSテレビの音楽ランキング番組「ザ・ベストテン」は1989年に放送が終了しましたが,その後も「ザ・ベストテン」っぽいランキングを個人で作り続けている 加ト吉 さんが, Web サイト「チャート梁山泊」でランキングを発表されています。なんとザ・ベストテン終了から27年経った現在も続けていらっしゃるというのは,ヒットチャートを自作した経験がある私からすると正に "神" なサイトです。

 「チャート梁山泊」のランキングは,もし1995年にザ・ベストテンが続いていたとしたら年間チャートはこんな感じだった,というものなのですが,「ロビンソン」「LOVE LOVE LOVE」「ズルい女」「TOMORROW」「WOW WAR TONIGHT」という年間上位5曲がまぁシビれますね。ランキング番組の年間チャートはロングヒットが上位になりやすいのですが,「TOMORROW」はベスト10に12週,「ロビンソン」は14週もランクインしたので,これだけ上位になっています。「ズルい女」はベスト10には9週ですが,ベスト20には17週もランクインしました。この3曲は記録面でも楽曲の完成度でも,強い印象を残しましたね。

 1995年のヒット曲を出したメンバーを挙げてみると,

【常連】
DREAMS COME TRUE,Mr.Children,B'z,trf,福山雅治,SMAP,大黒摩季,ZARD,サザン,布袋寅泰,広瀬香美,篠原涼子
【ステップアップ】
田村直美,小沢健二
【ブレイク】
安室奈美恵,スピッツ,シャ乱Q,JUDY AND MARY,L⇔R
【デビュー】
岡本真夜,globe,華原朋美,MY LITTLE LOVER,FIELD OF VIEW,相川七瀬,V6
【スマッシュヒット】
H Jungle with t,酒井法子,EAST END×YURI

とまぁ絢爛豪華。1995年の特徴をまとめてみます。

<常連組も超ビッグヒット>

 多彩なヒット曲が生まれる年は,その分ランキング常連組のヒットが小粒だったりするのですが,1995年はランキング常連組も年間チャート上位にきっちり入っています。特にミスチルは「Tomorrow never knows」に加え「es」「シーソーゲーム」さらに,桑田佳祐と組んだ「奇跡の地球」も大ヒット。ドリカム「LOVE LOVE LOVE」は自身最高のCD売り上げ。B'z は「LOVE PHANTOM」,福山は「HELLO」で各々自身2位のCD売り上げを記録しました。超ヒットまではいかなかったですが,SMAP は翌年からのステップアップに向けた助走期間,サザンはこれだけのヒット曲乱立の中でも「あなただけを」で存在感を見せているのはさすが(1979年と1995年の両方で顔を出しているのはサザンだけ…すごい!)。

<ブレイクやデビューで名曲連発>

 スピッツ が「ロビンソン」で,シャ乱Q が「シングルベット」「ズルい女」で,JUDY AND MARY が「Over Drive」で大ブレイク。岡本真夜 がデビュー曲の「TOMORROW」で,ミスチルのプロデューサーである 小林武史 が世に出した MY LITTLE LOVER がデビュー3作目の「Hello, Again」で,各々自身最大のヒット。

<小室哲哉プロデュース黄金時代へ>

 小室ファミリー関係の以下の出来事は全てこの年に起きています。

  • 安室奈美恵が「TRY ME」のヒットでようやくブレイク(その後「Body Feels EXIT」から小室哲哉プロデュースに加わる)
  • 小室自ら globe を立ち上げ
  • 恋人の華原朋美がデビュー
  • trf がレコード大賞受賞
  • ダウンタウンの 浜田雅功 のお願いで半ば遊びで作った H Jungle with t「WOW WAR TONIGHT」がプロデュース曲初のダブルミリオン

 こうやって列記すると,改めてすごい。これらが全て1995年に起きているのです。

<ビーイング系もまだ元気>

 1990年代に一世を風靡したビーイング系のピークは2年前(1993年)なのですが,1995年も 大黒摩季 は自身最大のヒット「ら・ら・ら」を送り出し,ZARD も安定。ポカリスエットのCMとタイアップした「君がいたから」「突然」の FIELD OF VIEW はこの年のデビューです。ビーイング系のメイン作曲者である 織田哲郎 は 相川七瀬 をプロデュースし「夢見る少女じゃいられない」でデビュー。

<多彩なスマッシュヒット>

 ドラマのタイアップで L⇔R「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」や 酒井法子「碧いうさぎ」,アニメタイアップでは前年にブレイクした 田村直美 が「ゆずれない願い」で2年連続ヒット。緩め系ラップの「DA.YO.NE」「MAICCA」なんて懐かしいですね。これらを歌った EAST END×YURI は,現在ソロで活躍中の GAKU-MC や東京パフォーマンスドール出身の 市井由理 が参加してました。他には 小沢健二 を始めとする渋谷系が台頭し,布袋寅泰 が「POISON」「スリル」という代表曲を出しソロ活動を軌道に乗せました。大物では,中島みゆき「旅人のうた」,松任谷由実「春よ,来い」などの名作も生まれています。

 まぁこれだけヒット曲やアーティストについて語るネタが尽きない年はありません。ミリオンセラー連発といっても「みんながCDを買うようになっただけであって,この頃の200万枚は昔の100万枚の価値しかない」なんていう見方をしてしまいがちですが,1995年はどのヒット曲もパワーを持っていて,その相乗効果でCD売り上げが伸びたのだ,と感じられる年なのです。もう21年も前なのかと思うとゾッとします(笑)が,いま聞いても全然色あせた感じがしませんし,カラオケで歌うとウケがいいのもこの頃の曲のパワーだと思います。

 「後から振り返るとこの年がすごい」と思う理由は,その翌年以降に出たヒット曲より量や質が良いことや,この年にデビューブレイクを果たしたアーティストがその後活躍していること,などがあります。1995年は単にCDバブルだっただけではなく,売り上げに相応しい名曲がたくさん生まれていますし,この年にビッグヒット,ブレイク,デビューを果たしたアーティストが20年以上経った現在でもものすごく活躍しています。そういった点から,私は1995年最強説を推したいと思います。とはいえ,時代が違う年を比較することに意味はなく,それぞれに素晴らしいヒット曲がありますので,1979年は「昭和」「レコード」時代の最強,1995年は「平成」「CD」時代の最強という感じかもしれませんね。

歌謡曲(J-POP)は1979年(昭和54年)が当たり年

 CDが売れなくなって久しい,と言われます。ダウンロード配信全盛なので実態がつかみづらいのですが,以前に比べて目ぼしいヒット曲がない,というのは厳然たる事実だと思います。そうなると,どうしても40代以上の人は「昔は良かった」的な郷愁をもって「昔のヒット曲は良かった」と思いたくなるのも,致し方ないところがあります。

 今から振り返ると,1970年代後半~1990年代は,良質なヒット曲がたくさん生まれた時代だと言えるでしょう。カラオケでは今でも,この頃の曲がよく歌われていますが,懐かしさだけではないはずです。テレビではよく,19XX年のヒット曲,というような振り返り方がよくされるので,たまにそういうのを見ていると「19XX年ってすごいヒット曲がたくさんある」と思ったりするものです。

 では,本当にすごい年,いわゆる当たり年は何年なのか? 芸人・タレントの爆笑問題・田中裕二は,ラジオ番組で「1979年最強説」というのを唱えたことがあります。1979年はどんなヒット曲があったのでしょうか?

1979年の年間チャート>

 確かに最強と言えそうなヒット曲の数々。錚々たるメンバーが揃っています。

【アイドル的】
山口百恵,ピンク・レディー,沢田研二,西城秀樹,郷ひろみ
【演歌】
(ブレイク)小林幸子,渥美二郎,牧村三枝子
(安定)千昌夫,五木ひろし
【ニューミュージック】
ゴダイゴ,サザン,さだまさし,アリス,ツイスト,八神純子
【スマッシュヒット】
水谷豊,岸田智史,ジュディ・オング,桑名正博

 幅広いジャンルが共存共栄しているのが1970年代の特徴ですが,この年は他の年にも増してどのジャンルからもバランスよく大ヒットが生まれ,とても華やかなヒットチャートになっています。この年の主なポイントを挙げてみます。

<アイドル勢ビッグヒット少ない>

 西城秀樹「YOUNG MAN」以外はさほど上位にランクされていません。山口百恵「いい日旅立ち」は後世に残る大名曲ですが,年間ベスト10には入っていません。ピンク・レディーは前年の1978年が全盛期で,この年は急激に衰退期に入っていきました。いわゆる常連組にビッグヒットが少ないということは,他のアーティストがビッグヒットを飛ばしたということなので,当たり年によくある現象と言えます。

<ニューミュージック勢台頭>

 ゴダイゴツイスト(世良公則),八神純子あたりは,当時よく聞いたなぁという方が多いのではないでしょうか。今は「歌謡曲」「J-POP」という言葉で一括りにされてしまいますが,当時,フォークの後に出てきた,バンドやシンガーソングライターによる音楽は「ニューミュージック」と呼ばれ,サザンユーミン(荒井由実,松任谷由実)がその代表格でした。ゴダイゴや八神純子は,今聞いても全く色あせない,独創的できらびやかな音楽を世に送り出し,フォーク出身のさだまさしアリスは今でも精力的に活動を続けています。このように「今でも通用する」「今も活躍している」アーティストやヒット曲が多いほど,当たり年という印象になるのです。

<ブレイク演歌が3曲>

 小林幸子「おもいで酒」,渥美二郎「夢追い酒」,牧村三枝子「みちづれ」と,この年は苦節を経て売れた演歌が3曲も出ました。1年に3曲も出たのはおそらくこの年だけでしょう。しかも,どの曲も今でも歌い継がれる大名曲ですよね。

<印象的なスマッシュヒット>

 水谷豊「カリフォルニア・コネクション」,岸田智史「きみの朝」,ジュディ・オング「魅せられて」,桑名正博「セクシャルバイオレットNo.1」…どの曲も,すぐに歌詞やメロディが思い浮かぶものばかり。ここに挙げた方々はその後も活躍されてはいますが,ビッグヒットという点でいえば1曲だけ。「これしかないけどこれがすごい」というアーティストの曲って,いつまでも印象が残りますよね。常連組の曲に交じって,こういったスマッシュヒットがちりばめられると,当たり年という印象が強くなります。

 こうやって書いていると,確かにこの頃の歌謡界って活気があったんだなぁと改めて思います。テレビの音楽ランキング番組の金字塔である「ザ・ベストテン」(TBSテレビ)が定着して高視聴率をとるようになり,「YOUNG MAN」が満点の9999点(レコード売上,ラジオ総合チャート,有線放送,はがきリクエストの4チャートが全て1位)を初めて(そして唯一)獲得するという現象が起こったのがこの年。家族そろってテレビを見て,ヒット曲をみんなが知ってて口ずさむ(カラオケはまだありません)…今から振り返るとそんな時代だったなぁと思います。

 なるほど確かに1979年は素晴らしいですが,私が過去40年間のヒットチャートから最強の年を挙げるとすれば,この年ではありません。1979年を超えるものすごい当たり年は…(続く

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