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紀平梨花

グランプリファイナル2019感想:羽生・紀平 打ちひしがれる完敗

 フィギュアスケートの今年のグランプリファイナルは,羽生結弦 選手が2位,紀平梨花 選手が4位に入りました。これはほぼ実力どおりの順位であり,さらに上位を狙ったものの健闘したと言える順位ではあります。しかし内容は点数差以上に完敗でした。来年3月の世界選手権に向け,両選手とも大きな課題を抱えてしまいました。

 羽生 選手も 紀平 選手も,自分たちがめざしていたレベルの演技構成をライバルに完璧に遂行され,歴代最高得点(2018/19シーズン以降の新採点規則)を塗り替えられてしまいました。自分では不可能なほど高度な演技構成だったり,奇策がハマったりしたのであれば,今回は仕方ないと諦めがつきますが,優勝選手は男女共に,彼らと同等レベルの演技構成を,極めて高い完成度で実施しており,自分たちがやりたかったことをやられてしまったのです。こういう負け方はかなりダメージがあると思います。

 まずは,ネイサン・チェン 選手(米)と 羽生結弦 選手の男子シングルから見ていきましょう。FS(Free Skating,フリースケーティング)の演技構成が,大会前に本ブログで紹介した構成よりもグレードアップしていましたので,当日の演技構成と,スコアの結果にどう表れたのかを表にまとめました。他の男子選手には申し訳ありませんが,チェン・羽生 両選手に絞りました。

表: 演技構成表 - グランプリファイナル2019 男子シングル
(各表はクリックしてご覧ください)
FigureSkateScoreList2019GPFmen2

表: 得点結果分析表 - グランプリファイナル2019 男子シングル
FigureSkateScoreResult2019GPFmen

 羽生 選手はFSで2年ぶりに 4Lz を実戦投入して4回転ジャンプを4種類5本にしてきましたが,これは今シーズン初で,過去にもほとんど実施したことがない構成であり,SP(Short Program,ショートプログラム)で点数を離されたことでギャンブルをせざるを得なくなりました。表の中で,3A の所に 1.6 という数字が出てきますが,これは 3A+3A というシークエンスジャンプの点数を表現しています。本来は 2 であるところを,シークエンスジャンプは点数が 0.8 倍になるので,2×0.8=1.6 となります。

 一方,羽生 選手の構成アップを予想した チェン 選手も,4Lz と 4F を同時投入し同じく4回転4種類5本にしてきましたが,チェン 選手は過去に4回転5本の構成を何度も実施しています(平昌五輪は4回転6本)ので,今シーズン初とはいっても経験値が全然違いました。苦手な 3A を1本にして,2連続ジャンプを2回とも +3T にするという盤石なスコア戦略も見事でした。

 観戦された方の中には,羽生 選手が チェン 選手にトータル 40 点以上も離されたことについて,点数が開きすぎでは?と感じた方もいたと思います。しかし,得点結果分析表を見ると,技術点に関して,基礎点だけでなく GOE(Grade Of Execution,出来栄え)加点でも大きく差がついたことが分かります。2018/19シーズン以降の新採点規則では,GOE 加点は基礎点に対する比率として点数化されるので,基礎点が下がると GOE 加点も下がります。羽生 選手は,演技後半のボーナスタイムでミスが相次ぎ,基礎点が下がってしまったことで GOE 加点も伸び悩みました。GOE 加点が武器である 羽生 選手が,チェン 選手に GOE 加点だけでトータル 20 点も差をつけられたのは屈辱的だったと思います。

 羽生 選手のFSは,演技前半は 4Lo も 4Lz も素晴らしい出来で,大逆転が期待できる内容でした。しかし,4Lo と 4Lz を同時投入したツケが演技後半に噴出。やはり急なジャンプ構成の変更は,羽生 選手を持ってしても極めて困難なミッションでした。それを見届けてからリンクに立った チェン 選手は,精神的な余裕もあってか,ジャンプに全く淀みがない完璧な内容で,4回転5本の先駆者としての凄みさえ感じられました。最高でトータル 333 点と見ていた私の予想を超え,基礎点が上がったこともあって 335 点という歴代最高得点に到達しました。

 チェン 選手の演技構成と完成度は,羽生 選手でも遂行可能なレベルのものでした。それなら,羽生 選手が絶好調ならば次の機会には競った戦いができる … 羽生 本人がそのようにコメントしましたし,報道もそのようなトーンが多いですが,あまりにも楽観的だと私は思います。今回の内容を,今までの蓄積として披露し完璧だった チェン 選手と,蓄積不十分なままギャンブルを仕掛け跳ね返された 羽生 選手。この差は非常に大きいです。しかも,羽生 選手はコンディションも万全でありながら敗れてしまった。昨季の世界選手権の負けは,羽生 選手がケガ明けだったという言い訳ができますが,今回の負けは完全なる力負けです。羽生 選手の「点差ほどの差は無い」というコメントは,本心ではないはずです。聡明な 羽生 選手は,自分がやるべき内容を チェン 選手に完璧に遂行されたという,今回の負けの意味を強く理解した上で,自分を発奮させるためにそう言うしかなかったのだと思います。そのくらい,羽生 選手は強い危機感を抱いていると思います。

 しかし,この差を埋めるのは簡単ではありません。PCS(Program Component Score,演技構成点)でも チェン 選手は 羽生 選手と肩を並べており,今回のファイナルで GOE も同等レベルに達しました。こうなると基礎点の勝負になってくるのですが,4回転5本の安定感が高い チェン 選手を上回るには,単に 4A を入れればよいという話では収まりません。4A を入れても4回転5本ではさほど基礎点を引き上げることはできず,4A の失敗リスクが付いて回ります。かといって 4A 入り4回転6本は体力的に無理な構成でしょう。4A はとても魅力的ですが,4A が チェン 選手に勝つ武器になると考えているようでは,この先 チェン 選手に勝てないままだと思います。4Lz が復活した今なら4回転4本と 3A 2本でも十分勝負できますので,足下をしっかり固めて世界選手権を迎えてほしいです。

 続いて,ロシアのシニアデビュー3人娘と 紀平梨花 選手の女子シングルを振り返ります。こちらも男子シングル同様,2つの表を載せます。

表: 演技構成表 - グランプリファイナル2019 女子シングル
FigureSkateScoreList2019GPFladies2

表: 得点結果分析表 - グランプリファイナル2019 女子シングル
FigureSkateScoreResult2019GPFladies

 演技構成をシーズン中よりも引き上げた選手が続出しました。トゥルソワ 選手はSPで 3A に,FSで4回転5本の構成にトライしました。シェルバコワ 選手はFSで 4F を入れ4回転3本にチャレンジしました。そして,紀平 選手はFSで 4S を実戦で初めて投入しました。転倒してしまいましたが,回転は認められたので,女子史上初めて 4S と 3A の基礎点を同時に獲得しました。

 しかし,優勝したのはシーズン中と同じ構成で完璧な演技を実施した コストルナヤ 選手でした。4回転が無くても,3A 3本で歴代最高得点を記録しました。この勝ち方に対して最も悔しい思いをしているのは,演技構成が同等の 紀平 選手でしょう。昨季のグランプリファイナルは,3A を武器に初出場で初優勝をさらいましたが,今回はその武器を持っているだけではダメで,演技の完成度を伴っていた コストルナヤ 選手が優勝を手にしました。得点結果分析表を見ると分かるように,コストルナヤ 選手の勝因,そして 紀平 選手の敗因は GOE です。ジャンプの失敗があった 紀平 選手の GOE 加点率はわずか 8% しかなく,これでは 29% という高い GOE 加点率の コストルナヤ 選手に太刀打ちすることはできません。

 今回のファイナルで実は評価を上げたのが シェルバコワ 選手です。FSでは新たに 4F を入れてきましたが,大きな失敗はこの 4F の転倒だけで,他の演技要素はとても良い出来でした。PCS も素点平均が8点台後半に乗り,トータル 240 点を記録しました。高難度ジャンプと表現力のバランスが良く,今後 4F が安定し PCS も伸びてくれば,トータル 250 点を最初に記録する選手になると思います。

 紀平 選手は本来の力を出し切れなかったとは言え,これだけの差がついてしまうと,今までと同じ演技構成では勝ち目が乏しくなります。今回初めて実戦投入した 4S は,スコアとモチベーションを共にアップさせる意味で大切なジャンプになってくるでしょう。先日の記事でも指摘したように,4S が安定し 3Lz が飛べるようになって初めて,ロシア3人娘と戦う土俵に乗ることができると思います。ザギトワ 選手(ロシア)が競技会を欠場するというニュースが飛び込んできた今となっては,紀平 選手が3人娘に対抗できる唯一の存在になるでしょう。今回の悔しさをバネに,全日本選手権や世界選手権でどんな演技を魅せてくれるのか,紀平 選手の巻き返しに期待したいと思います。

グランプリファイナル出場選手スコア比較:女子シングル編

 フィギュアスケートのグランプリファイナル出場選手のスコア比較表の女子シングル編です。昨シーズンから勢力図がガラッと変わりましたが,変わったのは顔ぶれだけではなく,ジャンプ構成も昨季とは全く違っています。

FigureSkateScoreList2019GPFladies

▲▲▲ クリックしてご覧ください ▲▲▲

 SPは,どの選手も当然のように 3Lz と 3F を入れています。紀平 選手が 3Lo を使っているのはケガの影響で回避しているだけです。女子のSPは4回転が禁止されているので,3A を持っている 紀平 選手と コストルナヤ 選手は有利になります。そこで少しでもスコアの差を埋めるために,トゥルソワ 選手や シェルバコワ 選手は連続ジャンプの2本目を +3Lo にする,いわゆるセカンドループを入れています。しかもそれを 3Lz と組み合わせてボーナスタイムに入れることで,ボーナスを最大化しています。セカンドループは彼らの同門(エテリ・トゥトベリーゼ コーチ)の先輩である ザギトワ 選手の得点源ですが,この3人はFSでもセカンドループをボーナスタイムに入れています。セカンドループが使えるとスコア戦略上たいへん有効ですが,失敗や回転不足のリスクが高く,ボーナスタイムに組み込むということは,それだけジャンプに自信を持っていることの表れです。

 FSに目を移すと,まさかの 4Lz が表記されています。男子でも数人しかプログラムに入れられない大技を飛ぶ選手が,女子2人もいるとは驚くばかりです。シェルバコワ 選手はなんと2本入れる構成です。2本入れると言うことは,1本は連続ジャンプにしなければなりませんが,それが 4Lz+3T という超大技です。そして彼女の 4Lz はただ飛んでいるのではなく,とても綺麗です。彼女は Lz が得意なようで,3Lz も2本入れて完全に Lz を武器にしたジャンプ構成になっています。

 そして,驚異の4回転4本,うちボーナスタイム1本という,羽生 選手並みの構成を組む トゥルソワ 選手。この比較表を見ると,166 点というFS歴代最高得点を獲ったのもうなずけるところです。3Lz をボーナスタイムに2本入れ,そのうち1本はセカンドループの連続ジャンプという,4回転以外でもスコアを最大化するものすごいプログラムです。PCS(Program Component Score,演技構成点)がそこまで高くない彼女にとっては,圧倒的な技術点で勝ちをつかむという,若手らしい戦術と言えます。

 その2人と共に今シーズン,シニアデビューを果たした コストルナヤ 選手は,完成度の高い 3AFSでも2本入れ,紀平 選手と同等のジャンプ構成を組んでいます。SP歴代最高得点を記録し,トータルでも歴代最高まであと1点に迫りました。4回転が無くても,GOE(Grade Of Execution,出来栄え評価)や PCS が高く,完成度はロシアのシニアデビュー3人娘の中で頭一つ抜けています。

 この3人,そして実績十分の ザギトワ 選手も含め,4人のロシア勢と戦う 紀平 選手は,このうち2人を上回らなければ表彰台に立つ(=3位以内)ことができません。なんとしてもロシア勢の表彰台独占は阻止したいところです。ただ,紀平 選手の現状のジャンプ構成では,彼らを上回るのはとても難しいでしょう。競い合う可能性が最も高い シェルバコワ 選手との間に,基礎点で 12 点もの差がありますので,GOE と PCS を高めてもその差は埋まらず,相手のミス待ちになってしまいます。

 そこで,リスクを承知の上で,Lz を回避しつつ戦える状況を作るために,紀平 選手はFS4S を入れることになるでしょう(比較表には 4S を入れた構成を記載)。3S を 4S に代えると,余った 3S を3連続ジャンプ(+1Eu+3S)に充てることができるので3連続ジャンプのスコアも上がり,現状より基礎点が7点上がるのです。これで シェルバコワ 選手との基礎点の差が5点以内になり,GOE と PCS の上積みによる逆転の確率が高まります。基礎点で負けていた コストルナヤ 選手にも,4S 投入によって基礎点が上回ることになるので,GOE と PCS が同じならスコアが上になります。トゥルソワ 選手とはまだ開きがありますが,彼女の 4S は今季成功率が低く,さらにもう1つミスがあればスコアが争える状況になります。4S 投入により,個人的な感覚として 紀平 選手が表彰台に立つ確率が,現状の 20% から 50% に上がる感じがします。

 私は先日まで,紀平 選手は焦って4回転を入れるべきでないと考えていました。しかし,このスコア比較表を見ながら,考えが変わってきました。コストルナヤ 選手は4回転を,トゥルソワ 選手は 3A を,近いうちに実戦投入するのではないかという予想も出てきています。さすがにファイナルでの投入はないと思いますが,ヨーロッパ選手権での投入はあり得る話です。そうなると,4回転と 3A を同時に成功させる最初の女子スケーターは誰か,という記録面の関心が高まってきます。フィギュアスケートの記録は公式の国際試合で成功した場合に成立します。紀平 選手がファイナルで4回転を入れなかった場合,次の機会は来年の四大陸選手権になりますが,これはヨーロッパ選手権より後に開催されるので,コストルナヤ 選手や トゥルソワ 選手がヨーロッパ選手権で4回転と 3A を同時に成功すると,彼らが最初のスケーターとして記録されます。紀平 選手自身はこんなことは意識していないと思いますが,3A の開拓者として4回転との同時成功を達成する最初のスケーターになってほしいのです。その意味でも,ファイナルではぜひ 4S と 3A をFSで成功させてほしいです。

 比較表には,紀平 選手のいくつかのパターンを付記しました。現状は 3Lz を回避していることで昨季よりもスコアが下がっていますが,3Lz が復活してさらに 4S も加わると,基礎点が シェルバコワ 選手に並び,トゥルソワ 選手とも10点差以内に迫ります。今シーズンの世界選手権(3月)までにこの構成を仕上げれば,昨季獲れなかった世界女王が現実的に狙えます。シニアデビュー3人娘を抑えて世界女王に輝けば,これほど価値あるタイトルはありません。先々にはこのような楽しみも広がります。

 ですが,まずはファイナルで風穴を開けてほしいところです。ファイナルのスコアがどのくらいになるかを予測します。

トゥルソワ 選手が全て成功の演技】
 基礎点 123 点+出来栄え点 24 点(GOE 平均 2 を仮定)+ PCS 100 点(満点の83%)= 247 点

紀平 選手が良質な演技】
 基礎点 109 点+出来栄え点 27 点(GOE 平均 2.5 を仮定)+ PCS 108 点(満点の90%)= 244 点

 トゥルソワ 選手が全てのジャンプを揃えるのは至難の業ですし,紀平 選手にとっても上述の GOE や PCS はそう簡単ではありません。優勝争いは歴代最高得点(241点台)超えをめざす,極めてハイレベルな勝負になりそうです。テネル 選手が完璧な演技なら,全員が 220 点を超えることもけして絵空事ではありません。間違いなく,今までで最も難易度と完成度の高いグランプリファイナル女子シングルが観られることでしょう。

NHK杯感想:羽生結弦 紀平梨花 冷静にグランプリファイナル進出 【スポーツ雑誌風】

 女子シングル。わずかな綻びがあったとはいえ良い内容でSP(Short Program,ショートプログラム)をまとめた 紀平梨花 だったが,驚異の85点台をたたき出した コストルナヤ (ロシア)に6点差をつけられ,内心穏やかではなかったはずだ。目の前の勝負だけを考えるなら,FS(Free Skating,フリースケーティング)での4回転ジャンプ投入を焦るところだが,マスコミには4回転あるぞとリップサービスをしつつも,紀平 陣営は冷静だった。4回転を入れずに,しかし GPF(グランプリファイナル)に向けた宣戦布告をFSで仕掛けてきた。FSのジャンプ構成を見てみよう。

【紀平梨花 NHK杯 FS】 3S 3A+2T 3F 3A / 3F+3T 2A+2T+2Lo 3Lo

《凡例》 A:アクセル,Lz:ルッツ,F:フリップ,Lo:ループ,S:サルコウ,T:トウループ,Eu:オイラー
     /:ここから右はボーナスタイム(基礎点 1.1 倍)

 今までは,3A を最初の2つのジャンプに入れていた。高難度のジャンプを最初に飛ぶのは当然の選択だ。しかし,NHK杯FSのジャンプは,最初に 3S から入る上述の構成を試し,2つの 3A を完成度高く決めて見せた。 3A に関する以下の記録は,女子では史上初である。

  • 最初の 3A が2回目のジャンプ
  • 3A を4回目のジャンプで飛ぶ
  • 2本の 3A の間に別のジャンプが入る

 最初の 3S は当然,将来入れる 4S への布石だ。4S → 3A+2T → 3A だと飛ぶ方も体力が要るし,プログラム全体で見ると頭でっかち過ぎる。そこで,3つめのジャンプでワンクッション置き,4つめに 3A を入れたと考えられる。これで前半の4つのジャンプはとてもきらびやかなものになる。

 4S を解禁し,さらにケガの影響で控えていた Lz (ルッツ)が戻ると,以下のようなジャンプ構成が予想できる。

【紀平梨花 FS 将来予想】 4S 3A+2T 3Lz 3A / 3Lz+3T 3F+1Eu+3S 3Lo

 鳥肌が立つ素晴らしいジャンプ構成だ。4回転と 3A の同時成功はもちろん女子史上初の快挙になる。4S 投入によって余った 3S は3連続ジャンプに使うことができるので,3連続ジャンプの基礎点も上がる。また,Lz と F を両方難なく飛び分けられる 紀平 だからこそ,Lz を2本使いつつ,3連続ジャンプを F に付けることができる。

KihiraRikaJumpCompare2019

 NHK杯では,4S も 3Lz も飛ばない構成で,伸びしろも残しながらFSで 150 点を超えてみせた。上述の将来構成はNHK杯よりも基礎点が10点高い。そして,この重厚なジャンプ構成が成功すれば PCS(Program Component Score,演技構成点)もさらに引き上がるだろう。ロシアのシニアデビュー3人娘(コストルナヤ,シェルバコワ,トゥルソワ)と十分戦える状況になるのだ。このような将来への可能性を示せたという点において,NHK杯はたいへん価値ある2位と考えていいだろう。

 2週間後の GPF で上述のジャンプ構成が披露されるかどうかは未知数だが,焦りは禁物だ。GPF は,その構成に着々と近づく姿を見せて,ロシア勢にプレッシャーを与えられれば,既に GPF 女王の称号を得ている 紀平 が順位にこだわる必要は無い。紀平 陣営の真のターゲット,それは3月の世界選手権なのだから。

 とはいえ,コストルナヤ の完成度の高さが現実の脅威であることは間違いない。3A をSP,FS計3本入れ,ジャンプ構成でも 紀平 と真っ向勝負を挑んでいる。PCS も,シニアデビューながら既に 紀平 とほぼ互角のスコアを得ている。3A は高さと回転姿勢が素晴らしく,紀平 と同等かそれ以上の完成度がある。今季の コストルナヤ は,昨季までの綺麗さに力強さが加わった印象があり,その体力や筋力が,3A の安定と細部まで行き届いた表現を生んでいるように感じられる。4回転ジャンプを武器とする トゥルソワ や シェルバコワ ほどの活躍は難しいのではないかという私の予想は外れ,ジャンプの安定度と PCS の高評価から考えると,コストルナヤGPF 優勝の筆頭候補と言うべき存在になった。NHK杯では,FSの伸びしろを残しながらもトータル 240 点を記録しており,GPF で PCS の上乗せができればトータル 245 点に届く可能性がある。

 GPF の女子シングルは,紀平梨花,ロシア3人娘(コストルナヤシェルバコワトゥルソワ),ザギトワ (ロシア),テネル (米)が競演する。230 点でも表彰台を逃す可能性があるという,極めてハイレベルな大会になる。この6選手を一度に観られる2週間後が今から待ち遠しい。

 男子シングル。SPがほぼ完璧だった 羽生結弦 に歴代最高得点の期待がかかったが,その達成は GPF までお預けとなった。FS後半最初のジャンプである 4T+1Eu+3F は 羽生 といえども難易度が非常に高い。後半の4回転,4回転からの3連続,今季から取り入れたサードフリップ(=3連続ジャンプの3本目が 3S ではなく 3F)という3つのハードルが重なるからだ。かなり質の良い 4T が必要なことから,ジャンプの入りに慎重になってしまったのかもしれない。これが 2T になってしまったことでスコアは伸びなかったが,その後の 4T+3T3A+1Eu+3Sリカバー羽生 の冷静さと好調さを示すものだった。4回転からの連続ジャンプと 3A からの3連続ジャンプ,これらを最後の2つとして成功させるなど並大抵のことではなく,それだけ心技体が充実していた証だと思う。

 実は,グランプリシリーズを2連勝し負傷も無いのは 羽生 史上初めてのことだ。2戦連続 300 点超えも初。今までで最高のシーズン前半を送っていると言えるのだ。今シーズンこそ,世界選手権までケガ無く活躍してほしいと切に願っている。

 GPF では,宇野昌磨 との対戦が叶わなかったのは寂しいが,ネイサン・チェン (米)との対戦が実現する。グランプリシリーズのスコアだけを見れば 羽生 が優勢に見えるが,グランプリシリーズの チェン は明らかに本気を出しておらず,ファイナルに向けて万全の調整をしてくるだろう。NHK杯から中1週しかない 羽生 は日程面ではハンデを負うが,NHK杯 → GPF → 全日本 と2週間おきに大会があるこのサイクルに日本選手は慣れているし,羽生 はこのサイクルの中で何度も GPF を制してきたので,全く問題ないだろう。羽生 の3年ぶり5度目の制覇か,チェン の3連覇か,2人の頂上対決が今からとても楽しみだ。

NHK杯プレビュー:羽生結弦 紀平梨花 出場

 今週末は,フィギュアスケート グランプリシリーズ6戦目の日本大会。今年は 札幌 開催となるNHK杯です。出場選手の面でも,グランプリファイナル進出者が決まるという意味でも,とても楽しみな大会です。細かく書く時間が取れませんので,普通の新聞記事レベルになってしまいますが,見どころを書いておきます。

 男子シングルは,なんといっても絶好調の 羽生結弦 選手が観られることが楽しみです。前回のカナダ大会もかなり良い演技でしたが,それを超えて,平昌五輪後の新採点ルールにおける最高得点記録が達成されるかもしれません。2015年,長野 開催のNHK杯で当時の最高得点を塗り替え,初めてトータル300点台を記録した,あの再現を否応なく期待してしまいますが,今シーズンの 羽生 選手ならやってくれそうな予感がします。くれぐれも(平昌五輪シーズンのように)張り切りすぎてケガなんてことだけはないように…。

 他の日本選手は,山本草太島田高志郎 の2選手。2人とも期待の若手で,とても良い演技をするので,ぜひ観てほしいです。出場が前半グループになると思うので,放送の早い時間に登場してきますのでお見逃し無く!

 海外勢では,卓越した表現力を持ち熱烈な日本通の ジェイソン・ブラウン 選手(米)と,昨シーズンから頭角を現し,スケーティングが抜群の エイモズ 選手(フランス)が楽しみです。順当なら,彼らと 羽生 選手が表彰台に上るでしょう。

 女子シングルは,当然,紀平梨花 選手を応援します。SP(Short Program,ショートプログラム)とFS(Free Skating,フリースケーティング)合わせて3本3A(トリプルアクセル)を綺麗に入れた上で,プログラム全体の完成度が高ければ優勝間違いなし…と全く言い切れなくなってしまった今シーズン。紀平 選手以外にも3Aを3本入れる選手が現れました。ロシアの若手3人娘の1人,コストルナヤ 選手の3Aは単に飛べるというレベルではなく,高さが高くとても見栄えがする,質の高い3Aです。また,PCS(Program Component Score,演技構成点)も既にFSで72点(満点の90%)に迫るスコアを出しており,3Aと PCS の両面で 紀平 選手と戦える力を持っています。紀平 選手は多彩な表現力が大きな魅力ですが,コストルナヤ 選手は力強さと美しさが共存するというこれまた希有な魅力を持っていますので,この2人の対決はたいへん楽しみです。

 ここに,平昌五輪女王にして現世界女王の ザギトワ 選手(ロシア)も加わるのですから,この3選手のうち誰かは銅メダル以下という,とんでもなくハイレベルな大会になります。ザギトワ 選手は今シーズン絶好調とは言えませんが,大好きな日本で初のNHK杯出場なので,モチベーションは高いと思います。3選手が良い演技をした場合,トータル230点でも銅メダルという驚異的なことが起きるかもしれません。

 男女ともシングルは金曜日にSP,土曜日にFSが行われ,女子SPの前半以外はNHKの地上波で放送されます。特に男子は,どちらも夜7時半からのゴールデンタイムに実施されますので,前半グループからしっかりと観ていただくことをお勧めします。

 フィギュアスケートはどうしてもシングルに注目が行きがちですが,今年も楽しみなのはアイスダンス。昨年に引き続き,パパダキスシゼロン 組(フランス)が出場してくれます。技術,芸術性,完成度,存在感,全てが圧倒的で異次元。アイスダンスはシングルに比べると物足りなく感じられる方もいるかもしれませんが,彼らを観るとアイスダンスの魅力がわかると思います。彼らが来日してくれて,彼らの映像を生放送で鮮明に観ることができるのは本当に貴重です。金曜日のSP,土曜日のFS共に午後0時台という昼間の実施で,かつBS放送ですが,ぜひ観ていただきたいです。

地の利を生かせず 表彰台は遠く 【世界フィギュア2019感想:女子シングル】

 私の予想(という名の願望)はことごとく外れ,女子シングルは一人も表彰台に乗れず,男子シングルは私が優勝を予想した 宇野昌磨 選手はメダルを逃し,苦戦を予想した 羽生結弦 選手が日本選手唯一のメダルを獲得しました。予想を外したからではなく,各選手の心情を思うと悔しい気持ちでいっぱいになってしまいます。

 女子シングルは,順位だけ見て日本選手の力不足という論評をするのは気の毒です。2位と5位のスコアは2点未満。1つミスすれば4点以上点数が変わる女子において,2点というのは差のうちに入りません。この点差でメダルを逃すのは,運が悪かったとしか言いようがなく,しかも5位の 坂本花織 選手は 222 点台,4位の 紀平梨花 選手に至っては 223 点台でもメダルが獲れませんでした。平昌五輪のとき 222 点台でメダリストになれなかった 宮原知子 選手を思い出してしまう状況です。なんとかしてメダリストになってもらいたかったですし,メダリストと同等のスコアを出したことには胸を張ってほしいです。

 しかし,だからこそ当の選手たちは悔しい思いをしているでしょう。メダルを逃す原因は自分たちのミスによるものだからです。ミスがなければ 紀平,坂本 両選手は表彰台に乗れました。2位の トゥルシンバエワ 選手(カザフスタン)と3位の メドベージェワ 選手(ロシア)は,SP(Short Program,ショートプログラム)もFS(Free Skating,フリースケーティング)もミスがありませんでした。ミスをするとスコアが低くなる,それが今シーズンのスコアルール改定の肝ですから,正にそのとおりの結果が出たわけです。

 紀平 選手は,生命線である 3A がSPとFSの計3本のうち1本しか成功しませんでした。これでは表彰台を逃すのも致し方ないことだと思います。シニアデビューシーズンは,ずっと活躍していたのに世界選手権で息切れすることがあり,過去には 宇野 選手や ネイサン・チェン 選手(米)もそれを経験しています。紀平 選手はその罠にハマることはないと私は思っていましたが,デビューシーズン大活躍の期待感に日本開催(しかも観客が1万人以上入るさいたまスーパーアリーナという大箱)が重なり,舞台が揃い過ぎたことが 紀平 選手を微妙に狂わせてしまったのかもしれません。

 坂本 選手はFSの 3F でミスが出ましたが,3F は 坂本 選手が最も得意な3回転ジャンプであり,めったにないミスによってメダルを逃したのですから,坂本 選手のショックは計り知れません。四大陸選手権では,3F の直前に飛ぶ 2A+3T+2T という,これまた得意かつ得点源のジャンプでのミスでメダルを逃していたので,今回はその 2A+3T+2T が成功したことで,ホッとした気持ち,あるいは得意なジャンプだからこそ失敗してはいけないという意識が出てしまい,平常心で 3F に入れなかったのかもしれません。SPが完璧と言っていい出来だっただけに,そのミス1つだけで表彰台をも逃すというのは,天国から地獄という言葉が大げさとは思えないほどの,あまりに厳しい結果でした。

 宮原 選手は,SPの回転不足が偶発的なものだったことをFSで証明しました。FSでは回転不足が全くない,技術面ではパーフェクトな演技でした。私は,SPの回転不足がFSに影響するというたいへん失礼な予想をしてしまったのですが,宮原 選手の修正能力に改めて感嘆いたしました。ただ,仮にSPの回転不足がなかったとしても,表彰台には乗れなかったと思います。今大会では,表現面が今までの 宮原 選手よりわずかに見劣りする感じがあり,PCS (Program Component Score,演技構成点)でやや差が出てしまったからです。PCS が低めだった要因は,日本開催の世界選手権への緊張と,回転不足を防ごうとジャンプへの意識がやや強くなってしまったことにあるのではないかと推察いたします。

 強力な布陣の日本選手を抑えて優勝したのは,実力を出し切った ザギトワ 選手(ロシア)でした。私は,今シーズンの苦難が世界選手権まで続くと予想しましたが,結果は逆でした。演技は完璧ではなかったものの,ミスなくきっちりまとめました。昨シーズンはクールで精密機械のような印象もありましたが,今大会はジャンプを絶対に決めるんだという,人としての強さが感じられるような演技でした。シーズンの不調を世界選手権で払しょくするシーンはここ数年の世界選手権ではなかったことであり,ザギトワ 選手の本当の強さを目の当たりにしました。

 ザギトワ 選手が所属する トゥトベリーゼ コーチのチームでは,メドベージェワ 選手が抜けたことで ザギトワ 選手が一枚看板として注目を集める一方で,ジュニア世界選手権の金・銀メダリストも在籍するなど,著しい若手の突き上げがあります。ザギトワ 選手は,世界選手権の成績によっては,五輪女王でありながら冷遇されかねない状況に追い込まれていたと言えます。今回の優勝によって早くも引退がありうるのでは,と推測する外国のメディアもあるようですが,ロシアの若手は4回転ジャンプの確率がかなり高く,彼らがシニアに上がってくると ザギトワ 選手でも厳しい戦いになることから,そのような報道が出るのでしょう。彼女はまだ16歳。引退がささやかれるとはあんまりだと思いますが,今シーズンを逃すと今後いつ金メダルが獲れるかわからない,そういう危機感が ザギトワ 選手にあったことは間違いないでしょう。

 2位に入った トゥルシンバエワ 選手は,SPが今までとは別人のように生き生きとした演技だったので,FSの 4S が成功するのではないかと私は予感していました。冒頭の 4S が成功したことでFSは完全に波に乗りました。こんなにしなやかで表現豊かな トゥルシンバエワ 選手を初めて観ました。PCS が1項目平均9点台に急伸したことで銀メダルを獲得しましたが,納得のスコアだったと思います。ブライアン・オーサー コーチに師事していた昨シーズンまでは,サイボーグ的な印象が拭えませんでしたが,今シーズンから トゥトベリーゼ コーチの元に戻り,トゥルシンバエワ 選手の気性の強さがハマったのでしょう。また,昨年暴漢に襲われ急逝した母国のソチ五輪銅メダリスト デニス・テン さんに捧げる気持ちの強さもあったと思います。彼女の素晴らしい演技には,テン さんのご加護があったようにも感じましたね。

 その トゥルシンバエワ 選手と入れ替わる形で,今シーズン,オーサー コーチの元に移った メドベージェワ 選手も,今シーズンの不調から甦り表彰台に乗りました。紀平,坂本 両選手のミスによって転がり込んできた銅メダルではありましたが,ギリギリで出場を決めた世界選手権で結果を出すのは,やはり並大抵のことではありません。このような形でシーズンを締め括り,今後の復活に向け大きな自信を得たと思います。

 表彰台に乗った3選手の演技で感じたことは,気持ちの強さが前面に出ていたことです。今までの彼らは,正確無比でミスが極めて少ないという演技の完成度で勝負してきました。ところが,今回の世界選手権は違いました。ジャンプの着氷でぐらついたりもしていたのですが,「絶対に成功させるんだ」という集中力でジャンプを飛んでいたように私の目には映りました。それは私の思い込みかもしれないのですが,そう感じずにはいられませんでした。

 きっと彼らは,背負っているものがとても大きかったんだと思います。五輪シーズンの絶頂から1シーズンで滑り落ちそうになっていた ザギトワ 選手。コーチを変えたことによる周囲の雑音を払いのけたかった トゥルシンバエワ,メドベージェワ の両選手。世界選手権で結果を出さなければ,今まで築いてきたものが崩れ落ちてしまう,そんな危機感が彼らを甦らせたのだと感じます。しかし,危機感だけで勝てるほど今のフィギュアスケートは甘くありません。追い込まれた状況でも優れたパフォーマンスを出せるだけの技術を持っているんですね。わずか2点のスコアの差,メダリストとメダルを逃した選手との差は,詰まるところその技術の差だということになるのです。

 日本の3選手は,そこまで大きなものを背負っていませんでした。母国開催で世界女王に「なりたい」という気持ちは強かったと思いますが,世界女王を「獲らねば」というほどではなかった。極限の緊張の中で,その差がミスという形で現れてしまったのかなと思います。日本開催に関しては,日本の観客は海外の選手にも分け隔てなく声援を送りますし,ザギトワ 選手や メドベージェワ 選手は日本が大好きですから,彼らが不利を感じることはほとんどなかったはずで,日本選手が母国開催という地の利をさほど享受できなかったと言えます。さいたまスーパーアリーナは世界的に見ても最も観客数が多い会場であり,会場の熱気がすごいことに加えて,試合が進むにつれて氷の状態が刻々と変わったそうです。大箱の緊張と氷の変化の両方に対応しなければならなかった点は,経験値が高い選手を利することになったかもしれません。

 なぜミスが出たのか,各陣営はよくわかっていると思います。紀平 選手は 3A の成功確率をもっと上げていくことに尽きるのですが,今シーズンのSPは,紀平 選手にとって 3A を飛びづらい音楽だったのではないかと私は推察しています。なので,来シーズン音楽が変われば状況は好転するでしょう。坂本 選手は,ここ2年間の全日本選手権では素晴らしい演技を見せていますので,緊張感がミスを誘発するという単純な話ではありません。全日本選手権のようなパフォーマンスを,国際大会でも披露するにはどうすればよいかを突き詰めていくことが求められます。

 今シーズンは五輪の翌シーズンであり,北京五輪はまだ先だからこの結果で十分,という考えがあるとしたら私は賛同しかねます。1年1年のグランプリファイナルや世界選手権の結果こそが競技スケーターにとって大切だと思うからです。五輪は4年に一度のお祭りであり,メダルを獲るにはそのときの好不調や運も関係してきます。五輪のメダリストが過度に評価されるのではなく,1年1年の実績が評価されるべきです。世界トップの大会(世界選手権,五輪シーズンは五輪)で ザギトワ 選手が2連覇,メドベージェワ 選手が4年連続表彰台に上ったことは,五輪のメダリストであることよりも輝かしい実績だと思います。日本選手は,母国開催のチャンスを生かせず表彰台を逃したことを,五輪で力を出せなかったことと同じくらい大事なこととして受け止めてほしいです。

 とはいえ,紀平,坂本 両選手がメダリストと同等の力を示したことも,紛れもない事実です。紀平 選手は,3A 以外のジャンプ・スピン・ステップが高い完成度だったことは素晴らしかったです。坂本 選手は,スケーティングが格段に美しくなり,FSでは PCS が1項目平均9点を超えました(坂本 選手にとって国際大会初)。PCS だけ見れば,メドベージェワ 選手より高い評価を受け,ザギトワ 選手に次ぐ2位でした。これは 坂本 選手にとってはとてつもなく大きな自信になったと思います。

 日本の選手たちは,これらの成果を糧としつつ,この悔しさがバネになることでしょう。母国開催のメダルを逃したことは苦い経験ではありますが「この経験があったから強くなれた」と言えるような活躍を来シーズン以降期待したいと思います。

世界フィギュア2019 ショートプログラムを終えて

 さいたまスーパーアリーナで開催中のフィギュアスケート世界選手権は,SP(Short Program,ショートプログラム)が終わりました。FS(Free Skating,フリースケーティング)はどうなるでしょうか?

◆女子シングル

 坂本花織 選手が素晴らしい演技を披露しました。スケーティングがとても柔らかく,ジャンプがプログラムに溶け込んでいました。FSも全日本選手権を超える演技になると私は確信しています。紀平梨花 選手がミスしたら 坂本 選手が優勝をさらう,という展開になってきました。世間では「ザギトワ 選手(ロシア)が逃げ切るか 紀平 選手が逆転か」という報じ方になっていますが,優勝候補の筆頭に 坂本 選手が躍り出たと私は思います。滑走順が ザギトワ 選手より前になったことも幸運ですね。坂本 選手が完璧なら,ザギトワ 選手がわずかな綻びを見せただけで逆転できると思います。

 紀平 選手は,3A の予定が 1A になり0点になった(←SPでは 2A 以外の2回転以下の単独ジャンプは0点)にもかかわらず,スコアが70点に乗ったのがせめてもの救いで,まだ逆転の目があります。FSで 3A を2本成功させることは優勝の絶対条件になりますが,FSのプログラム「A Beautiful Storm」は 紀平 選手にとてもフィットしていますし,開き直るしかない状況なので,完璧な演技になる可能性がかなり高いです。

 今大会は PCS (Program Component Score,演技構成点)が厳しめな印象があるので,スコア 160 点は難しいですが,158 点までは到達可能でしょう。その場合,ザギトワ 選手は 147 点,坂本 選手は 152 点で 紀平 選手より上位になりますが,この点数は2選手にとってかなり高く,これが 紀平 選手に逆転の目があると考える根拠です。ただ,今大会絶好調の 坂本 選手なら,全日本選手権で出した 152 点を国際大会である世界フィギュアでも出せると思いますので,坂本 選手の優勝の可能性が最も高いと上述したのです。

 宮原 選手は,ジャンプの回転不足が出てしまったのが厳しいですね。気をつけていたにもかかわらず回転不足を取られたことで,FSではジャンプをきちんと飛ばなければ,という重圧がかかってきます。修正能力の高い 宮原 選手ではありますが,FSでも回転不足やジャンプミスが出てしまいそうです。表彰台は限りなく厳しくなってきました。

 ザギトワ 選手は,全てが完璧なら上述した 147 点は超えられると思いますが,どこかでミスが出るか,ミスはなくても完璧とは言えない出来の場合,今シーズンの実績から考えると 147 点に及ばない可能性がかなりあります。SPが完璧だったことでやっと優勝争いに絡める状況になっただけであり,今シーズンの鬼門であるFSを完璧に演じられるかどうかは,まだまだ予断を許しません。表彰台はほぼ手中にしたと言えますが,優勝を手にするには,坂本,紀平 両選手のミスが出た状況で,ザギトワ 選手が完璧に演じることが条件になりそうです。

 優勝は僅差で 坂本 選手,2位と3位を 紀平 選手と ザギトワ 選手が争うと予想します。3選手の誰かがかなり崩れた場合,四大陸選手権から好調を維持する トゥルシンバエワ 選手(カザフスタン)が表彰台に乗る可能性が出てきました。SPの調子を見る限り,FSの 4S は成功の可能性が高いと思いますので,どこまで迫れるか楽しみです。

◆男子シングル

 羽生結弦 選手は,SPはミスなく演じられると予想していたのですが,やはりケガのブランクによる試合勘の弱さが出てしまいました。どんなに練習が順調でも,試合は別物だとよく言われますからね。追い込まれたときの 羽生 選手は強い,という過去の実績から逆転を期待したくなりますが,FSはSPよりもさらに正直に選手のコンディションが表れますので,厳しい戦いになると思います。FS演技時間後半の3つの連続ジャンプ,特に 羽生 選手にしかできない 4T+3A を成功させてほしいですね。

 宇野昌磨 選手は,リードを奪う絶好のチャンスだったにもかかわらず,羽生 選手に付き合ってしまいました。今シーズンのSPは 4T+3T に苦労していたのですが,今大会ではその前の 4F を失敗するという予期せぬ展開でした。ただ,そこですぐに切り替えてあえて 4T+2T を選択し踏みとどまりました。4T+3T を成功させた場合より4点ほど下げた形ですが,失敗すれば優勝は絶望的だったことを思えば,首の皮1枚つながったと言えます。今シーズンのFSは比較的良いですし,無心で集中し完璧な演技をしてスコア 200 点を出せれば奇跡の逆転の目も出てきます。ただ,その可能性は,女子の 紀平 選手の逆転優勝よりも難しいでしょう。

 ネイサン・チェン 選手(米)が今シーズンの好調さそのままに,SPで貯金を作りました。大舞台で力を出し切れないかも,とは言ってもSPを見る限りその可能性は低そうですし,羽生 選手と 13 点差,宇野 選手と 16 点差は,よほど大崩れしない限り追いつかれない点差です。ただ,4回転ジャンプは失敗すると一気に点数が減ってしまうので,2回大きなミスが出ると勝負はもつれます。しかし,その可能性はかなり低いでしょう。チェン 選手が優勝をほぼ手中にし,宇野,羽生 の両選手がわずかな可能性に賭ける,という展開です。

 素晴らしかったのは ジェイソン・ブラウン 選手(米)。大好きな日本で,やっと会心の演技ができました。ほとんど準備動作なく,流れの中で飛ぶジャンプの質が凄い。順位は二の次で,FSも完璧な演技を魅せてほしいと願っています。

世界フィギュア2019 プレビュー 【スポーツ雑誌風】

 さいたまスーパーアリーナで開催される,フィギュアスケート世界選手権の見どころと勝負の予想をスポーツ雑誌風に記します。


◆男子シングル

 優勝争いは,羽生結弦宇野昌磨ネイサン・チェン (米)の3選手が有力で,ヴィンセント・ジョウ (米),ボーヤン・ジン (金博洋,中国)らが表彰台を狙う。彼らの4回転ジャンプはSP(Short Program,ショートプログラム)で2本,FS(Free Skating,フリースケーティング)で4本と横並び(→ジャンプの分析:本ブログ過去記事参照)なので,本番の演技の完成度が勝敗を分ける。

 中でも最も優勝に近いのが 宇野昌磨 だ。世間の下馬評は 羽生 や チェン の声が多いかもしれないが,私は 宇野 に勝機ありと見ている。2月の四大陸選手権で,ケガを抱えながらFSの今シーズン世界最高得点を叩き出して優勝したことは,宇野 にとって大きな自信となり,主要国際大会6大会連続2位から脱したことで胸のつかえも取れただろう。今シーズンは,周囲の期待に応え勝ちにこだわる姿勢を貫いており,日本開催の地の利も生かし,初めて 羽生 を破って初優勝という大願成就を果たしたい気持ちは誰よりも強いだろう。安定感やピーキング能力はここ3シーズン発揮されており,SPとFSが両方ノーミスで実施できれば初の世界王者を手にするだろう。

 羽生 はケガ明け4ヶ月ぶりの実戦であり,ノーミスは可能かもしれないが,完成度の高い実施は難しいだろう。平昌五輪の再現を期待するファンは多いが,五輪という特別な舞台であり,過去のプログラムの再演だった 平昌 の状況とは異なり,今シーズンはプログラムを試合で滑る機会が少なかったので,いくら練習で好調だったとしても,いきなり世界選手権で完成度を高めるのは難しいと予想する。SPは大丈夫と思うが,FSは転倒や回転抜けが無ければ上出来と考えた方がよいだろう。

 チェン は今シーズン絶好調で,SPとFSを完璧に揃えた1月の全米選手権の出来が再現できれば間違いなく優勝できる。ただ チェン は,2017年の世界選手権,2018年の平昌五輪と2年続けてシーズン終盤の大舞台で優勝はおろかメダルさえも逃しており,大舞台で力を発揮する技術とメンタルが試される。不得手の 3A の出来が勝負を分けるかもしれない。

  • 私の順位予想 … 1位: 宇野,2位: チェン,3位: 羽生
  • 全員完成度が高い場合 … 1位: チェン,2位: 羽生,3位: 宇野

◆女子シングル

 日本選手の表彰台独占という夢のような光景が見られるかもしれない。その可能性が60%くらいあると思う。スコアの観点では,紀平梨花 を ザギトワ (ロシア)が追いかけ,さらにその後ろに他の選手が僅差でひしめく状況(→ジャンプの分析:本ブログ過去記事《日本選手ロシア選手》参照)だが,日本3選手の地力・地の利と,ロシア選手の今シーズンの停滞を考えると,日本選手の表彰台独占の可能性はけして贔屓目ではない。

 優勝候補の筆頭はもちろん 紀平梨花 である。技術点が抜群に高く,PCS (Program Component Score,演技構成点)も ザギトワ と肩を並べトップクラス。状況に応じて,ジャンプの難度を落としたり,その場で構成を変更する対応力も過去の試合で証明済みだ。日本開催が逆プレッシャーとなり,シーズンの最後に息切れという可能性もゼロではないが,今シーズンはSPとFSのどちらかにミスが出ており,この大舞台で両方ノーミスでの実施を強く誓っているはずだ。SP 80 点FS 160 点計 240 点という驚異的な得点を期待せずにはいられない。

 全日本を制した 坂本花織 は,優勝を狙うと公言している。これほどはっきり優勝を口にすることは珍しく,並々ならぬ決意がうかがえる。四大陸選手権で優勝を狙うもメダルを逃す経験をしたことで,無心で試合に臨むことの大切さを再認識できたことも好材料だ。完璧な演技ができれば GOE (Grade Of Execution,出来ばえ点)も PCS も高騰する可能性はあり,紀平 にミスが出れば 坂本 が女王の座を射止める可能性が高い。

 世界選手権の銀と銅のメダルを持つ 宮原知子 も,金メダルを渇望している。全日本選手権から3ヶ月,プログラム細部の精緻化と,ジャンプの回転不足の解消に取り組み,演技全体を研ぎ澄ませてきただろう。シーズン途中では細かいミスがあっても,世界選手権や五輪の大舞台で完成形を披露しシーズンベストを更新する,これが 宮原 の例年の姿だ。今シーズン,全日本選手権では若手2人の突き上げを受けているが,先輩のプライドにかけて,日本開催である今年の世界女王は是が非でも手にしたいところだ。ミスがないことにはもはや驚かないが,全てが完璧に演技できれば優勝に手が届くだろう。

 ここ数年,日本勢より力が上だったロシア勢だが,今シーズンは様相が異なる。五輪女王 ザギトワ,欧州女王 サモドゥロワ に加え,世界女王2連覇の実績を持つ メドベージェワ も参戦し,名前だけを見れば手強い相手に思える。しかし,今シーズンのロシア勢は完全に追う立場にいる。

 ザギトワ の不調は,五輪女王の重圧,身長の伸びなど様々に報じられているが,私が感じる要因は「FSの選曲」と「紀平 の急成長」である。ザギトワ のFSは「カルメン」。この曲は五輪で演じることを ザギトワ 自身が希望したものの,エテリ・トゥトベリーゼ コーチが賛同しなかったと言われている。五輪女王になったこともあり「カルメン」の採用を許したのだろうが,五輪女王とはいえまだ16歳,風格があるタイプではない ザギトワ にとって「カルメン」のスケール感を表現するには時期尚早という印象だ。ジャンプもどこか飛びづらそうに見えるのは,ジャンプが曲にうまくハマっていないからかもしれない。

 紀平 の急成長に関して,3A によって技術点を高めてくることは予期できても,PCS が自分に追いついたことは予想外だっただろう。グランプリファイナル完敗の衝撃(→本ブログ過去記事)の大きさは,その後のロシア選手権(5位)とヨーロッパ選手権(2位)が物語っている。ノーミスは当然で完璧な演技でなければ世界女王は取れない,という状況に追い込まれたことが ザギトワ の焦りを生み,演技の綻びをなかなか塞げずにいる。表彰台に乗れるかどうかの厳しい試合になると私は予想するが,今シーズンの不調を払拭する演技ができれば,当然優勝争いに加わってくる。

 むしろ,ネームバリューはロシア勢で最も低い サモドゥロワ が,表彰台の可能性としては最も高いと私は考える。シニアデビューの今シーズン,グランプリファイナルに出場(5位)し,ヨーロッパ選手権で ザギトワ を破って優勝したことで,世界選手権の切符をつかんだ。ヨーロッパ選手権は欧州各国では権威のある大会であり,ここでの優勝は我々が思う以上に大きな自信になっているはずだ。FSの「バーレスク」は サモドゥロワ によく合ったプログラムなので,完璧な演技なら,日本勢の表彰台独占を阻む役を担うかもしれない。

 直前の国内選考で出場をつかみ取った メドベージェワ は,大好きな日本での出場に安堵していると思うが,昨シーズンまでの実力は現在の彼女にはない。コーチを トゥトベリーゼ からロシア国外の ブライアン・オーサー に変更し,全く違う生活・練習環境に慣れるだけでも大変な作業なのに,さらにスケートも全てを一から再構築しているのだから,今回は出場できたことが奇跡的なのだ。私は,以前の メドベージェワ は PCS が高過ぎると感じていたので,現在のスコアは妥当な水準だと感じている。ここから再び頂上をめざしていく上で,今大会は メドベージェワ が何合目まで上ってきたかがわかる試合になる。だがもちろん,メドベージェワ 自身は出場だけで満足と思うはずがない。順位はともかく,完璧な演技で自身が進む道の正しさを証明してほしい。

 ここ数年の世界選手権を見ると,それまで順調だった選手が力を発揮できないことは時々あるのだが,不調だった選手が甦ることはほぼない。フィギュアスケートは現在の採点方式が導入されたことで,ネームバリューで戦える世界ではなくなった。ザギトワ や メドベージェワ の経験や舞台度胸は脅威だが,それでシーズンの不調をカバーできるほど甘くはない。仮に 紀平 選手が崩れた場合は,坂本,宮原 のどちらかが世界女王初戴冠となるだろう。

  • 私の順位予想 … 1位: 紀平,2位: 坂本,3位: 宮原
  • 全員完成度が高い場合 … 1位: 紀平,2位: ザギトワ,3位: 宮原

ジャンプ戦略考察:女子シングル日本選手編

 フィギュアスケートの世界選手権の開催が近づいてきました。今年は日本開催なので,日本勢の活躍に期待がかかります。そこで,出場選手がどんなジャンプを選んでいるのかを見ていこうと思います。

 私は,あくまでも「フィギュアスケートはスコアを競う競技である」という視点に立ち,スコア分析をこのブログの1つの柱にしています。そこで,各選手がFS(Free Skating,フリースケーティング)でどんなジャンプを飛ぶのかがわかる表を作成しました。まずは,宮原知子 選手のジャンプ構成表を見てください。

figureSkateScoreMiyahara

 表の見方を説明します。11.1 と書いてあるのが,どのジャンプを飛ぶのかを示しています。1.1 は数字のとおりスコアが 1.1 倍になるボーナスタイム(演技時間後半のラスト3回)のジャンプです。宮原 選手の場合,単独ジャンプは 3Lz, 3Lo, 3S, 2A (記号の説明は割愛します)を飛び,2A にボーナスが付きます。連続ジャンプ(表では「コンビネーションJump」と記載)は 3Lz+3T, 2A+3T, 3F+2T+2Lo を飛びます。

 表の右側の「回数」は,第1ジャンプ(単独ジャンプ,および連続ジャンプの最初のジャンプ)としてどのジャンプを何本飛ぶかを示し,整数部はトータルの本数,小数部はボーナスタイムの本数を示します。3Lz の回数 2.0 は「2本飛びボーナスタイムは無し」を表し,2A の回数 2.2 は「2本飛び,その2本ともボーナスタイムに飛ぶ」を表します。回数欄を縦に眺めると,宮原 選手の第1ジャンプは,3Lz と 2A が2本ずつ,3F, 3Lo, 3S が1本ずつで,そのうちボーナスタイムに飛ぶのは 3F (1本)と 2A (2本)であることがわかります。

 「基礎点内訳」は,ジャンプの基礎点を第1ジャンプごとに合計したものです。宮原 選手は 3Lz で 16.00 点,3F で 9.13 点を獲得することがわかります。「基礎点増分」は,基礎点内訳の点数から各ジャンプ1回分の基礎点を差し引いた値で,この値が大きいほどそのジャンプが得点源になっていることを示しています。宮原 選手の 3Lz を例にとると,3Lz が第1ジャンプになるのは 3Lz 単独 と 3Lz+3T の2回で,これらの基礎点合計は 3Lz の「基礎点内訳」に記載されている 16.00 点です。3Lz 1本の基礎点が 5.9 点なので,16.00 - 5.9 = 10.10 点が 3Lz の「基礎点増分」になります。宮原 選手の 3Lz は,単独ジャンプ1本の点数と比べて 10.10 点のプラスを得ているという計算になります。

 「ボーナス加点分」は,ボーナスによって通常のスコアから上乗せされた分を示します。これは,ボーナスが付くジャンプの基礎点の 10% です。表の下側の集計欄を見ると,宮原 選手はボーナス無しなら 44.3 点のところ,ボーナスによって 1.91 点が上乗せされ,合計で 46.21 点になることがわかります。

 では,宮原知子 選手のジャンプ構成を具体的に見てみましょう。3回転ジャンプで同じ種類を2本飛べるのは2種類までなので,3T を連続ジャンプ(第2ジャンプ)で2本使い,もう1種類を 3Lz にしています。第2ジャンプの 3T は 3Lz と 2A に付け,3連続ジャンプは 3F を使っています。

 宮原 選手の構成は,とても練られていると感じます。3Lz が得意な 宮原 選手ですが,2回の 3Lz のうち連続ジャンプは1回だけで,しかも2回ともボーナスタイムではありません。3連続ジャンプは 3F に付け,しかもボーナスタイムに持ってきています。3Lz に頼り過ぎず 3F とのバランスを示す構成になっています。

 2本飛ぶ3回転ジャンプ3Lz3T を使っていますが,この選択は実は,3A や +3Lo を入れないオーソドックスな構成において,スコアが最も高くなるのです。また,連続ジャンプの 3T を 3Lz と 2A に付けているのも素晴らしいです。2A は2本とも単独ジャンプにしても問題ないのですが,単独の 2A が2本入るとどうしても退屈な印象になりがちです。2A+3T を入れると華やかな印象になるほか,GOE 加点を最大 ±2.1 にすることができる(2A 単独や 2A+2T だと ±1.65)ので,わずかですがスコアが上がるのです。

 宮原 選手は 2A も得意なので,2A2本ともボーナスタイムに入れています。また,ボーナスタイムに連続ジャンプ2回入れることでスコアを上げています。オーソドックスなジャンプを選択しながらも,Lz と F のバランス,スコア戦略,得意なジャンプの配置などの策をうまく盛り込んでいる 宮原 選手のジャンプ構成は,理想的だと言っていいと思います。

 続いて,全日本女王の 坂本花織 選手のジャンプ構成表を見てみます。

figureSkateScoreSakamoto

 「基礎点増分」欄から,3F2A の依存度が高い構成であることが分かります。坂本 選手は Lz が苦手で F が得意なので,3Lz は単独ジャンプ1本のみで,3F は2本とも連続ジャンプにして,3F でスコアを稼ぐ作戦を採っています。女子選手は,Lz と F の一方が得意で他方は苦手という選手がけっこう多いので,Lz と F の一方に大きく依存するジャンプ構成は珍しくありません。

 ボーナスタイムに 2A+3T+2T という大技を持ってきているのも 坂本 選手の大きな特徴です。3連続ジャンプは,間に1回転を挟む +1Eu+3S タイプと,2回転を連続させる +2T+2Lo タイプの2種類が主流で,+3T+2T を入れている選手は珍しいです。しかもそれをボーナスタイムに入れているのは,2A が得意な 坂本 選手ならではのジャンプと言えます。

 ただし,スコア戦略の面ではこの大技はちょっともったいない感じになっています。坂本 選手の連続ジャンプが +3T+2T, +3T, +2T なのに対し,前述した 宮原 選手は +3T, +3T, +2T+2Lo なので,宮原 選手の方が 2Lo を使っている分だけスコアが高い(2Lo と 2T の基礎点差は 0.4)のです。この分を少しでもカバーするため,坂本 選手は,ボーナスタイム連続ジャンプ2回と(単独ジャンプでは苦手な 3Lz の次に基礎点が高い) 3Lo を持ってくることで,基礎点を2点以上上乗せしています。

 最後は,シニアデビューシーズンでの初出場初優勝を狙う 紀平梨花 選手です。

figureSkateScoreKihira

 なんといっても2本3A,そのうち1本の連続ジャンプが 3A+3T という大技,というのが圧巻です。そして,3A が2本あるにもかかわらず 3Lz2本あり,しかも両方とも連続ジャンプという,女子としてはとんでもないジャンプ構成です。3A と 3Lz でジャンプのスコアの7割以上を占めていますが,これは単純に基礎点が高いジャンプを多く入れた結果だと思います。

 つい 3A に注目しがちですが,実は 3Lz の安定感が大きな武器です。3A はどうしても失敗のリスクが高いですから,3Lz できっちりスコアを稼げる点が 紀平 選手の高得点を支えていると言えるでしょう。ちなみに,紀平 選手は F が苦手なわけではありません。Lz が非常に安定しているのでこのような構成にしているだけで,SP(Short Program,ショートプログラム)では 3Lz は単独ジャンプにして,3F+3T の連続ジャンプを入れています。

 ちょっと面白い特徴として,紀平 選手のジャンプには 2A がありません。7本ある第1ジャンプ全て3回転というのは,他の女子選手には見られない大きな特徴です。ほとんどの一流選手は 2A を2本入れますが,その2本をそのまま 3A に置き換えた構成です。紀平 選手のFSが壮大な雰囲気を感じるのは,2A が無いことも要因の1つかもしれません。

 ボーナス加点率が低いと感じられた方は,なかなか鋭いです。宮原,坂本 両選手の4%台に対し,紀平 選手は3%台で,これは有力選手の中では最も低いです。つまり,紀平 選手はボーナスタイムをあまり活用できていないということなのですが,基礎点が高い 3A がありますので,相対的にボーナス加点率が低くなるのはやむを得ない面があります。また,これは私の推測なんですが,昨シーズンまでのルールであれば 3Lz+2T にもボーナスが付くはずでしたが,今シーズンのルール改定によってボーナスがなくなってもプログラムを変えなかった,ということかもしれません。これでも,ザギトワ 選手(ロシア)に5点近い差をつけ,全シニア女子選手中トップの基礎点を持っていますので,これで十分という判断だったと思います。

 日本の3選手は,バランスとスコア戦略を両立する 宮原 選手,得意なジャンプを前面に出す 坂本 選手,世界一の基礎点を持つ 紀平 選手と,同じ7回11本のジャンプでもその内訳には各選手の個性がよく表れています。大技や得意なジャンプに注目がいきがちですが,単独ジャンプには苦手なジャンプが入っているので,これをどう乗り切るのかを見るのも注目点だと思います。宮原 選手は 3S,坂本 選手は 3Lz が各々苦手なので,ここも見どころです。紀平 選手はやはり 3A の出来が勝負を左右するでしょう。

 次のブログでは,優勝争いの相手となるロシア勢のジャンプ構成を見てみようと思います。

全米史上最年少優勝 アリサ・リウ がすごい!

 フィギュアスケートの2019年全米選手権。五輪翌シーズンで特に女子の一線級が軒並み欠場していることもあり,今年の全米は見どころがないだろうけど一応観ておこう…という感じでのんきに観ていたら,女子シングルですごい選手が出てきていきなり優勝し,フィギュアスケート界に衝撃が走っています。

AlysaLiu2019USNational 彼女の名前は アリサ・リウ (Alysa Liu)。13歳5か月での優勝は,今まで全米史上最年少だった,長野五輪金メダリスト タラ・リピンスキー さんの記録を塗り替え,3A(トリプルアクセルジャンプ)をSP(Short Program,ショートプログラム)とFS(Free Skating,フリースケーティング)で合計3本成功させました。この2つの偉業が特徴的に報じられているのですが,リウ 選手のすごさはこれだけではありません。演技全体,さらにはキス&クライ(得点発表を待つ場所)での振る舞いを観た私は,リウ 選手の実力とスター性に驚嘆し,次世代の北米をリードする存在になると確信しました

 3本の 3A というだけでは語れないのが,強力なスコア戦略です。同じく 3A を3本入れている 紀平梨花 選手と比較しながら見ていきます。まずSPのジャンプ構成を比べてみます。

紀平:3A 3F+3T / 3Lz
リウ:3A 3F / 3Lz+3T

 2人のジャンプ構成は同等です。連続ジャンプを 3Lz(トリプルルッツ)に付けるか,3F(トリプルフリップ)に付けるかの違いだけで,一見同じスコアに思えます。しかし,基礎点1.1倍ボーナス(後半最後のジャンプ)の対象となるジャンプが異なっています。紀平 選手が 3Lz(基礎点のボーナス分:0.59)を入れているのに対し,リウ 選手は 3Lz+3T(同:1.01)という,SPでは最も基礎点が高い連続ジャンプを入れているのです。冒頭に 3A を飛んでいながら,最後に連続ジャンプを入れるという リウ 選手の構成は,スコアがわずか 0.42 点しか上乗せされないことを考えるとかなりリスキーですが,こんなすごい構成が組めるというインパクトは絶大です。

 FSのスコア戦略はさらに興味深いです。2人のジャンプを飛ぶ順番どおりに並べてみます。

紀平:3A+3T 3A 3Lo 3Lz+2T / 3F 3Lz+2T+2Lo 3S
リウ:3A+2T 3A 2A 3Lo / 3Lz+3T 3Lz+1Eu+3S 3F

 / の右側がボーナスタイム(演技時間後半の最後の3回,点数1.1倍ボーナスの対象)です。これらをバラしてどのジャンプを入れているかだけに注目すると,下記のようになります。

紀平:3A* 3Lz* 3F 3Lo 3S +2T+2Lo +3T +2T
リウ:3A* 3Lz* 3F 3Lo 2A +1Eu+3S +3T +2T

 * は2本入れているジャンプです。入れているジャンプの種類だけ見ると,3A を2本入れている2人だけあってよく似ています。リウ 選手の方が(1.1倍ボーナスを考慮しない)基礎点が 0.8 点高いですが,大きな差ではありません。

 しかし(1つ前の比較に戻ると)ジャンプ構成やその順番はかなり違っています。ボーナスタイムのジャンプを見ると,リウ 選手が 紀平 選手より難しいジャンプをここに入れていることがわかります。3Lz+3T3Lz+1Eu+3S は,3A 以外のジャンプの中で基礎点の高さ1位と2位のジャンプであり,これらに1.1倍ボーナスを付けることで基礎点を最大化できます。また,最後のジャンプである 3F も,入れることができるジャンプの中では一番基礎点が高いです。つまり,リウ 選手のジャンプのスコアは,3A を2本入れ +3Lo(連続ジャンプのセカンドループ)を使わないという条件において,基礎点が最も高くなる構成なのです。ジャンプの基礎点を比較すると以下のようになり,リウ 選手のボーナスタイムのスコアがいかに高いかがよくわかります。

基礎点 計Bonus Time 計割合
紀平:52.6520.3539%
リウ:54.2128.7153%

 紀平 選手は 3A+3T という大技があるにもかかわらず,(過去のブログで指摘したように)スコアはまだ伸ばせる余地があります。一方,リウ 選手は 3A の連続ジャンプを +2T にして成功確率を高め,3Lz の連続ジャンプに +3T を付けてそれをボーナスタイムに持ってくることで,スコアを上げることもできているのです。連続ジャンプのスコアは各ジャンプの基礎点の単純な足し算なので,3A+3T 3Lz+2T と 3A+2T 3Lz+3T は基礎点が同じであることをうまく突いており,リウ 選手陣営のスコア戦略が感じられます。

 ただ,3A を2本入れながらさらにボーナスタイムに 3Lz+3T を飛ぶのは非常にリスキーであり,リウ 選手が 3A 以外のジャンプにも自信があるからこそ採れる戦略と言えます。現に,FSでは8トリプル(3回転ジャンプ8本)にも成功しました。そして,さらに驚くべきことに,演技全体の表現力が既にシニアのレベルに達しています。腕や手先の使い方がとても自然で,ジュニア選手が大人ぶって無理があるような動作がほとんどないのです。この「3A 以外のジャンプの安定感」「演技全体の表現力」は,紀平 選手と共通しています。これこそが,リウ 選手の全米優勝が衝撃をもって受け止められている理由ではないかと思います。

 また,リンク外では表情豊か。滑り終えると緊張から解放されて涙。スコアを待つ間は満面の笑顔。スコアが発表されると驚きの後に号泣。13歳でも年齢なりに背負うものがあると感じさせる感情表現に,私は強く惹きつけられました。全米女王という大きなタイトルを史上最年少で手にするという強運も得て,次世代のスターが誕生したという印象を強く持ちました。

 リウ 選手は年齢の関係で,まだジュニアにも上がっていませんので,今シーズンの世界ジュニア選手権には出場できません。来シーズンやっとジュニアに上がり,シニアに上がるのは最早で 2021/22 シーズン,なんと北京五輪シーズンです。まだまだ先の話ですから今後何があるかわかりませんが,女子選手が体系変化に苦しむ年齢になる前に五輪を迎えるので,順調に成長すれば 紀平 選手の強力なライバルになる可能性が高いと思います。シニアデビューシーズンでいきなり五輪ならそこまでのライバルにはならないのでは?と思っている方は,平昌五輪の金メダリスト ザギトワ 選手がシニアデビューシーズンだったこと,そして今シーズンの 紀平 選手もシニアデビューであることを忘れていませんか。女子選手は特に,ジュニアで十分な経験を積めば,シニアデビューで一気にトップ選手に駆け上がることができるのです。アリサ・リウ 選手が今後,ジュニアでどのような成長を遂げていくのか,大いに注目していきましょう。

紀平梨花,グランプリファイナル制覇,次は全日本選手権 【スポーツ雑誌風】

KihiraRika2018GPF フィギュアスケート・グランプリファイナル(以下 GPF)開催から1週間。やっと感想が書ける時間が取れました。いや~,やってくれました,紀平梨花 選手! シニアデビューシーズンのファイナル優勝は 浅田真央 さん以来ですが,シリーズ3連勝(日本大会:NHK杯,フランス大会,GPF)は男女を通じて日本選手史上初の快挙となりました。書いてみたらかなりくどくなってしまった(笑)ので,雑誌記事アレンジにしてみます。


 FS(Free Skating,フリースケーティング)は,SP(Short Program,ショートプログラム)終了時に私が予想したとおり,3A(トリプルアクセルジャンプ)を1本綺麗に決めた 紀平梨花 が,FSだけ見ても ザギトワ (ロシア)に勝利し,SP・FS共に1位の完全優勝となった。正直なところ,3A が1本しか決まらなければ,FSでは負けてもSPの貯金で勝つ,と思っていたので,3A が1本なのにFSも勝てたのは驚きだった。

 3A を1本ミスしても勝ったということで,ザギトワ が本調子ではなかったからだと思っている方もいるかもしれないが,そうではない。ジャンプ・スピン等個々の要素の完成度を示す GOE(Grade Of Execution,出来ばえ)による加点の合計は,ザギトワ が 14.76 点。これは 紀平 の 14.56 点より高く,ザギトワ の今季のグランプリシリーズ2戦よりも高い加点だ。また,PCS(Program Component Score,演技構成点)も5項目平均9点台に乗せており,個々の要素および演技全体の完成度はけして悪くなかった。

 ザギトワ のFSでは,3Lz+3T(連続ジャンプ:トリプルルッツ→トリプルトウループ)の予定が 3Lz+1T になってしまったので,基礎点が 3.8 点減り,GOE 加点も 0.34 点しか得られなかった。グランプリシリーズ2戦では共に,3Lz+3T で 1.77 点の加点(GOE 平均= +3 )を得ているので,3Lz+3T が成功すれば 3.8+(1.77-0.34)= 5.23 点上乗せされる計算になる。しかし,GPF の ザギトワ はSP+FSトータルで 紀平 に 6.59 点の差をつけられており,その上乗せだけでは逆転できなかったのである(PCS が伸びれば逆転したかもしれないが 1.4 点の伸びが必要)。全要素成功の ザギトワ が,3A で1ミスの 紀平 に負ける計算であり,これは ザギトワ の調子云々ではなく,完全に力負けであることを示している。

 今後,ザギトワ が絶好調ならば,紀平 といい勝負になるだろう。しかし,それは 紀平 がほどほどの出来ならばの話で,紀平 も絶好調だと勝ち目がない,ということが今回の GPF ではっきりした。現在のジャンプ構成のままでは,ザギトワ は 紀平 のミス待ちにならざるを得ない。ザギトワ 陣営はなかなか策が打てない状況に陥ってしまったと言っていいだろう。

 この状況で思い出すのは,ケガから復帰した メドベージェワ (ロシア)が,シニアデビューの ザギトワ に力負けした,昨シーズンのヨーロッパ選手権だ。このとき,ザギトワ の PCS が急伸して メドベージェワ 先輩を追い抜いたが,今回の GPF でシニアデビューの 紀平 も PCS が急伸しており,「シニアデビュー選手が PCS を急伸して追い抜く」という点で類似しているのだ。1年前は追い抜く立場だった ザギトワ が,今度は追い抜かれる立場に立たされたわけだ。1年前の ザギトワ は,ヨーロッパ選手権の勢いそのままに,平昌五輪の金メダルを手にした。追い抜く者のエネルギーの強さを自ら体感した彼女が,追い抜かれた立場で今シーズンのこれからをどう巻き返していくのか,注目していきたい。

 ここまで ザギトワ 目線だったので,紀平 の目線で見ていこう。GPF という注目度の高い大会で,SP 82 点,FS 150 点で優勝を手にするという,最高の結果だったと思う。私はつい前回の記事で「FS 160 点もあるかも」などと煽ってしまったが,内心ではまず不可能だなと思っていた。ところが,GPF の 紀平 のFSのスコアは,失敗した 3A がもし成功していたら本当に 160 点に到達していたという内容だったので,本当に驚いた。160 点の可能性が十分に感じられる 150 点であり 紀平 陣営はかなり満足していると思う。

 ジャンプを1つミスしても 150 点とは,恐ろしいスコアである。しかもそのミスは,小ミスではなく大ミスだった。冒頭の 3A は不完全で,半回転以上回転が足りなかった。基礎点が減点される「回転不足」は,回転が90度(1/4回転)以上180度(半回転)未満の範囲で不足することを指すが,半回転以上回転が足りないと「ダウングレード」という判定になり,基礎点が 2A の点数しか得られない。しかも着氷の仕方も悪かったため GOE が最低評価になってしまい,ダウングレード & GOE 最低という,回転不足で転倒するよりも大きな減点になってしまった。これだけで,単独の 3A と比べ8点以上点数を落とすことになった。もっと正確に言えば,最初のジャンプは 3A+3T の予定だったので,12点ほど点数を落としたことになるのである。

 ミスの仕方が悪かったことから,普通ならかなり精神的なダメージを受けるところだが,ニュースでも報じられたように,ここから 紀平 が驚異的な修正対応力を発揮していく。次の 3A は,直前に失敗したのだからただ飛ぶだけでも尋常でない緊張感に襲われるはず。しかもこの 3A は「連続ジャンプにしたい」ではなく「連続ジャンプにしなければならない」ジャンプだった。もし単独ジャンプにしてしまうと「同じ種類の単独ジャンプは1回まで」というルールにより基礎点が 0.7 倍に減点され,それに伴って GOE 加点も小さくなってしまうからである。

 紀平 は 3A を飛び着氷したが,完璧な着氷ではなかったため,セカンドジャンプが予定の +3T ではなく +2T になった。テレビ中継を観た印象では,+3T を付けようと考えていたものの,身体が反射的に +2T を選んだように見えた。+3T を付けてリカバーしたいという気持ちが強すぎると,思考と動作がかみ合わずに失敗したり回転が抜けたりするものだが,ここで冷静に +2T を付けられるのが 紀平 の身体能力のすごさなのだ。このジャンプを失敗すれば優勝を逃していたので,このジャンプによって彼女自身,これでまだ勝負ができると思ったことだろう。

 次のハイライトが,ステップの後に飛ぶ演技時間後半最初の 3Lz からの連続ジャンプだった。セカンドジャンプの予定は +2T だったが,3A に +2T を付けたことから,ここは +3T にしなければならなかった。もしここも +2T にしてしまうと「同じ種類のジャンプは2本まで」というルールがあるので,後で飛ぶ3連続ジャンプのセカンドジャンプを3回転(3→3→2回転の3連続ジャンプ)にするリカバーが必要になるが,演技終盤の3連続ジャンプのセカンド3回転は,紀平 と言えどもリスクが高すぎる。この場面,3Lz+3T を絶対に成功させる必要があったのである。

 女子では苦手な選手も多い 3Lz を,比較的短い助走から重心を外側にかける正しい飛び方で踏み切り,幅のあるジャンプで綺麗に着氷。そのまま続けて高さのある +3T を飛び,着氷後もスーッと軌跡が伸びていった。これぞ 3A の次に難しい 3Lz も得意とする 紀平 の真骨頂。後半最初の 3Lz+3T が鮮やかに決まり,観客の拍手がひときわ大きくなったように感じた。この連続ジャンプの成功で,紀平 は優勝の目が出てきたと思っただろう。その後,点数が 1.1 倍になる3回のジャンプをきっちり決めたのも,紀平 のスタミナと,チャンスをつかむメンタルの強さの表れだった。ジュニアの頃は大崩れも珍しくなかったことを思うと,メンタルの急成長が今回の快挙を生んだ大きな要因だろう。

 演技が終わっても,紀平 には優勝の確信はなかったはずだ。SPの貯金を使ってギリギリで勝てるかどうか…そんな気持ちだったことだろう。ところが,発表された点数は 150 点台。FSでも ザギトワ を上回ったことは,望外の喜びだったと思う。FSでも決め手になったのは PCS。70 点(5項目平均 8.75)に届けば…という私の予想を超え,いきなり 72 点台に乗せた。72 点は PCS の評価項目5項目平均9点であり,スケーティングや表現力などの総合力が超一流であることを示すものだ。この点数は ザギトワ とほぼ同じ点数であり,SPとFSの両方で 紀平 の PCS が ザギトワ に肩を並べたことになった。

 PCS は客観的評価が難しく,実は審判も探り探り採点しているのではないだろうか。過去に記録した PCS が審判の頭にあり,進歩が感じられると PCS が上がっていくのだと思う。だから,同じ選手の PCS が試合によってコロコロ変わることはなく,一度高い PCS が出ると,短期間で急激に低下することはないと思われる。GPF で PCS を引き上げた 紀平 は,今後は悪くても5項目平均 8.75(SP 35 点,FS 70 点),良い演技なら9点(SP 36 点,FS 72 点)以上をコンスタントに記録していくと思う。

 この PCS の急伸こそ,一流選手が一堂に会する GPF に出場した 紀平 にとっての最大の収穫だ。今季,SPは5項目平均8点そこそこ,FSでも 8.5 点には届いていなかったレベルから,GPF で 8.8~9点に引き上がったのは,他の選手と同時に観た審判が 紀平 をトップレベルと認めざるを得なかったからだと思う。シニアデビューシーズンの GPF で(5項目平均)9点に乗せたのは,2015年の メドベージェワ 以来であり,紀平 が同等の評価を得たことはものすごいことだと感じる。ご存じのとおり,メドベージェワ はそこから一気に世界女王へと上り詰め,世界選手権2連覇,3年間全試合2位以内という驚異的な戦績を修めた。ということは,紀平 に世界女王や五輪でのメダル争いを今から期待することは,早すぎることではなくむしろ当然のことだと思うのだ。

 基礎点が最強でありながら GOE も高く PCS もトップクラスに到達。SP出遅れから逆転する爆発力(日本大会),3A を封印しても勝ち切れる総合力(フランス大会),極限での対応力と勝負度胸(GPF)。これだけの様々なドラマを生み出し,なおかつ勝ち運も持っているシニアデビュー選手。世界のフィギュアスケート関係者が驚嘆・絶賛し,ロシアのスケート界やメディアに脅威を与える選手。これが 紀平梨花 なのである。

 彼女は今,女子シングルに立ちはだかっていた重い扉を開け放った。五輪金メダリストで見ると,バンクーバー五輪 キム・ヨナ(韓国) 228 点から平昌五輪 ザギトワ 239 点まで,8年間でスコアは11点しか伸びていない。3A を飛ぶ選手は少なく,3→3回転の連続ジャンプが得点源という時代が長く続き,その間,スコアの飛躍的な上昇はなく,GOE や PCS を高めることが主な戦略だった。3A と 3→3回転連続ジャンプの両方を高い完成度で使いこなす 紀平 がその重い扉を開け,男子で起こったような技術開発やスコアの上昇が本格化しそうだ。紀平 の活躍が刺激となり,多くの女子選手が 3A や4回転ジャンプへの挑戦に踏み出している。紀平 自身も4回転の挑戦を明言し,他の選手が追いつく前にさらなる高みをめざそうとしている。北京五輪に向けて,女子シングルが競技の面で活性化することは間違いなく,紀平 はその象徴的な存在になるだろう。

 さて,今週末は全日本選手権である。日本大会(NHK杯)から始まった1ヶ月半にわたる 紀平 の快進撃の第一幕が,いよいよクライマックスを迎える。日本大会 → フランス大会 → GPF → 全日本 が同じ隔週の間隔で続き,良いリズムができているのではないかと思う。GPF を制覇した自信はとてつもなく大きく,周囲の注目度といったマイナス面などあっさり跳ね除けるだろう。昨年,紀平 は五輪代表選考の張り詰めた空気の中,全日本3位となり表彰台に上がっており,全日本独特の緊張感も経験済みだ。むしろ,シニアデビューの選手には負けられないと,他の選手たちの方がプレッシャーを感じているのではないか。トップスケーターへの階段を駆け上ってきた 紀平 が,デビュー4連勝でトップスケーターの頂に上り詰める可能性が極めて高い

 国内大会なので公式記録にはならないが,GPF でお預けとなったトータル 240 点という新歴代最高得点への期待もかかる。しかし,そこまで高望みするのではなく,そのスコアは世界選手権まで取っておくことにして,まずは練習チームの先輩である 宮原知子 が完璧な演技を披露し,2人で優勝争いを演じて「日本女子Wエースの誕生」…これが最高のシナリオだと私は思う。 (選手敬称略)

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