北京冬季五輪のフィギュアスケート男子シングルは,極めて順当な結果になりました。羽生結弦 選手がメダルを逃したのに順当とは何事か,と思う方もいらっしゃると思いますが,私は1年前から,羽生 選手は3連覇はおろかメダル獲得もかなり厳しいと予想していました(→過去のブログ記事)。羽生 選手の北京冬季五輪の結果については,別の記事で考察する予定です。
鍵山優真 選手の銀メダルは,結果だけでなく演技の内容も伴っていたという点で素晴らしかったです。鍵山 選手は団体戦の FS に出場しましたが,その機会を最大限に生かしました。全日本選手権では入れていなかった 4Lo を入れた4回転ジャンプ4本のプログラムを披露し,それが見事な仕上がりで 208 点を獲得。4Lo を入れても全体を通せること,この出来ならこのスコアが出ること,本番リンクで試合を経験できたこと,これらが 鍵山 選手に大いなる自信を与えたことでしょう。その勢いのまま個人戦の SP も完璧,FS も団体戦に近い完成度でトータル 310 点超えを果たしました。
とにかく 4S,4T の着氷が完璧でした。ジャンプの回転を終えて余裕をもって降りてくるので,まるで3回転ジャンプのように綺麗に着氷し,着氷後も滑りに伸びがありました。審判もそう感じたようで,SP も FS も 4S と 4T が全て GOE 3 以上の評価でした。また,演技全体に一貫した雰囲気を作れていたと思います。SP は軽やか,FS はシャープ。振付師の ローリー・ニコル さんと 鍵山 選手の相性は最強ですね。シニア2年目でもう PCS が 90% (SP 40 点,FS 80 点) を超えているのがその証です。
団体戦 FS から中1日で SP,さらに中1日で FS という無謀なスケジュールで明らかなように,団体戦で FS に起用される選手は,SP 出場選手や団体戦に出ない選手よりも個人戦で大きなハンデを負います。日本チームとしてはそのハンデを 鍵山 選手に負ってもらわざるを得ませんでしたが,団体戦に出場し個人戦では振るわない成績だった選手も多かった中,鍵山 選手がそのハンデをはねのけ,日本選手最上位に入ったこともお見事でした。団体戦で素晴らしい演技をし,個人戦に自信と勢いを持って臨んだ 鍵山 選手は,ハンデをプラスに変え,団体戦を最も上手に活用した選手だったと言えるでしょう。
父親である 鍵山正和 コーチの存在無しにこの快挙は語れません。五輪シーズンをどう過ごせばよいか,五輪の期間中どう心身を保つか,そういった指導にコーチ自身の2度の五輪出場経験が存分に生かされたと思います。でなければ,五輪で4回転ジャンプの種類や回数を増やすというハイリスクな戦略を,過密スケジュールの中でシニア2年目の選手が遂行することなど,到底不可能です。練習ではそこそこ成功確率が上がっていたと思われる 4Lo を,試合では封印してプログラム全体の完成度向上を優先し,グランプリシリーズや全日本選手権で完成度を印象づけた上で,五輪で 4Lo をラストピースとしてはめ込む,そんな五輪シーズンの戦略が見事にハマりました。
若い 鍵山 選手ですから,今回は経験できれば良し,メダルを狙うのは次の五輪,そんな考え方もありだったと思います。しかし,昨季の世界選手権で2位に入り,これならメダルが狙えるという意識になったのかもしれません。次の五輪に出場できる保証はありませんから,出場した五輪でベストを尽くし結果を出す。五輪を経験しその大切さを知るコーチは,そんなふうに北京冬季五輪を位置付けたのではないでしょうか。自らは届かなかったメダルを息子が手にした,父親としてコーチとして 鍵山正和 さんは幸せをかみしめていることと思います。
宇野昌磨 選手の五輪2大会連続メダルも称えられるべき偉業です。過去の 羽生 選手の2連覇や今回の 鍵山 選手の躍進の陰に隠れがちですが,日本の【男子シングル五輪2大会連続複数メダル】は 宇野 選手なくして成し得なかったものです。今回の 宇野 選手のメダルは,集中力と挑戦によって得られたものでした。SP はジャンプの着氷時に1度手をついたにもかかわらず,団体戦 SP のスコアをわずかに上回る 105 点台を記録しました。スピンやステップで全てレベル4を取り,PCS も団体戦より良かったのは,集中力高く緊張感を保った演技ができたからではないかと思います。SP の高得点が今一つだった FS をカバーしトータルで3位に入りました。
FS も最後まで集中力が持続しました。出だしの 4Lo や 4S は良かったのですが,得意の 4F が事実上の転倒。ボーナスタイムに持っていく選択もあった 4F をあえて演技時間前半に据えて,確実性を取ったにもかかわらずの失敗なので,動揺はあったと思います。しかし,それを滑りに影響させないのが 宇野 選手の集中力とメンタルの強さなのです。その後,ボーナスタイムの 4T 単独ジャンプの着氷が乱れ,最後の3連続ジャンプも3本目の 3F が1回転になるなど,良い演技とは言い難い内容でしたが,「ボレロ」の壮大な音楽に合わせて雄大なスケーティングを最後まで貫いたことで,ジャンプの失敗が霞む印象の演技になり,PCS 91 点を獲得しました。
今シーズンの 宇野 選手は,FS に4回転ジャンプを5本入れるという極めて難度が高い構成を組みましたが,シーズンを通して全てが揃う演技は1度もありませんでした。ただ,宇野 選手は難度を下げずに挑戦し続けていたので,ジャンプの失敗があっても最後まで質の高い演技を貫くことを自らに課していたのだと思います。その粘り強さが五輪の大舞台でも発揮され,その挑戦が銅メダルという結果に結びついたのだと思います。
思えば,日本の3選手は皆,挑戦していました。鍵山 選手は 4Lo を入れる,宇野 選手は4回転5本,羽生 選手は 4A。五輪のプレシーズンまでに挑戦を終え,五輪シーズンは完成度を高めていくという戦略は,もう過去のものかもしれません。挑戦し続けた先に結果も付いてくる。3選手がそのことを体現してくれたように思います。
ただ,別の見方をすれば,日本選手は挑戦するしかなかったのかもしれません。彼らの挑戦の相手は ネイサン・チェン 選手(米)。なんといっても チェン 選手は,4年前の平昌五輪の「忘れ物を取りに来た」(実況アナウンサーの言葉)わけで,五輪での成功を誰よりも願っていたことでしょう。この4年間 No.1 に君臨し続けましたが,米国でも猛威をふるったコロナ禍に身を置き,今シーズン初戦ではまさかの敗戦があり,五輪に愛されている 羽生 選手や強力な日本勢と戦うという,一筋縄ではいかない状況がありました。
しかし,今大会の チェン 選手はそんなことには全く動じませんでした。団体戦 SP の見事な演技で4年前の悪夢を吹き飛ばし,良いイメージのまま個人戦に入り SP で世界最高得点を記録。羽生 選手と15点以上の差をつけるという,4年前とは逆の立場になり,FS は余裕を持って臨めたと思います。それでも4回転ジャンプ5本の構成を落とすことなく,全ての4回転を成功。中でも,冒頭の2本の 4F,続く 4S の次に飛んだ 4Lz が素晴らしかった。回転軸が真っ直ぐ,高さも幅も抜群,着氷も完璧。この 4Lz を見て,私は チェン 選手の勝利を確信しました。この4年間の集大成として,強い王者が実力どおりに金メダルを獲得し,4年ごしのリベンジ達成に胸が熱くなりました。
男子シングルでは他に,全体の完成度が高く5位に入った チャ・ジュンファン 選手(韓国),4Lz 4F 4Lo という難しい4回転ジャンプ3種類を成功させた グラスル 選手(イタリア),4回転を回避して SP も FS も素晴らしい完成度でトータル 280 点を超えた ジェイソン・ブラウン 選手(米)など,見応えのある演技が多くありました。一方,コロナに罹患し個人戦に出場できなかった ヴィンセント・ジョウ 選手(米)は,出場すれば確実にメダル争いに加われただけに,その真剣勝負を観られずとても残念でした。また,団体戦の SP と FS に両方出場した影響を強く受けてしまった コンドラチュク 選手(ロシア)や サドフスキー 選手(カナダ)は,非常に気の毒でした。団体戦の実施時期や,団体戦と個人戦の日程間隔に関しては,アスリートファーストの観点での再考を強く望みます。
(出典:フィギュアスケート速報)